お念佛からはじまる幸せ

2019年11月4日月曜日

死に方教室

令和元年11月2・9日合併号の「週間現代」の新聞広告に「よく死ぬための教養」という特集の文字が目に入った。同週刊誌は、週間ポストと並んで、繁殖の終わりそうな、あるいは、もう終わった♂共が、袋とじのヌード目当てに購入する雑誌のようで、いささか
買うには気が引けないこともない。
金額も、出はじめの週刊誌の値段を知るものには、久しぶりに本屋で払う、金額には隔世の感がある。いや、昔のことは止めましょう。
「よく死ぬための教養」は、良く書かれていると、思う。週刊誌情報というのは、狗肉牛
刀のような、タイトルと中身が不釣合いで、興味津津、一読がっかりが多いが、日頃死につきあっていると、この記事、結構読める。
いや、この週刊誌が「死」を特集すると言うことが、少し前なら、この雑誌の編集者は考えもしなかったのではなかろうか。「死」を特集できる、時代に来ているということだろう。それで、週刊誌が売れるということだろう。本合併号に限らず、この手の、人間の死亡についての、豆知識的な、特集を組む週刊誌、広告を目にするようになった。

先代は、よく週間ポストと週間現代を買っていた。旅の多いひとだったから、電車の中で読むには手頃なのだろう、話の種を探しているのだろうくらいに、思っていた。週間文春と週間新潮は勿論、定期購読だった。
先代読み残しの週刊誌を、ぱらぱらめくり読みしても、記事内容で、これは残そうかと思うような記事にはまず、出会わなかった。タイトルが、仰々しく、中身が希薄な、お金払ってでも買いたいような記事には遭遇しなかった。

まあ、自分のほうが、準備不足だから、先生に出会わなかったのだろう。なにかと「死」
にお付き合いすることが多く、いやでもおうでも、「死」を考えざるを得ない年齢になったということなのだろう、自分自身が。

ここのところ、4つほど葬式が続き、95歳・100歳・99歳・92歳が続けば、アホでも、100歳時代がもう来ているのだと、悟らざるをえない。自身でいえば、あと25年も生かされてしまったら、どうしようかと考えてしまう。

川端康成・三島由紀夫・西部邁もう一人いえば、桂枝雀、みんな自死した。助さん・格さんもういいでしょうとばかりに。だれにも迷惑かけず、死期を悟った象さんのように、ひっそりと、姿を消す方法があれば、教えてほしいものだ。

看護助手が、酸素マスクを外して、実刑を12年食らって、出てきてから、無罪になりそうだという新聞記事。「彼女は安楽死を選んだ」というNHKの特番。中村仁一先生の「大往生したかったら医療にかかわるな」の売れ行き。「葬式はいらない」という新書。「死にたい老人」新書。情報は多い。死を経験したものは皆無である。臨死体験は死の経験ではないだろう。

全部面白い。自分の立ち位置も知らないで、のほほんと日常業務に埋没することができる人々は幸せである。46億年(地球の年齢)と弥勒菩薩様の56億7千万年を足すと、100億年の宇宙の中で、2500年前のお釈迦さま、850年前の元祖様なんて、つい先ごろの話だろう、今ここで、説法しておいでなのですと、お檀家には話している。


2019年10月7日月曜日

よくあるご質問

よくあるご質問
質問 「お参りするところがいくつもあると、亡くなった本人がどこへゆくのか迷ってしまい、よいことではんないという人がいます。本当ですか?」
回答
お釈迦様
「わたしの遺骨は、欲しい人がたくさんいて、争いになるところでした。なんとか8つの国 い分けることにしました。いまでは、世界中に私の遺骨が広がっています。たくさんの場所で、お参りすることは何の問題もないばかりか、とてもよいことだと思います。」
法然上人
「弟子たちは、法然上人ゆかりのお寺を作って欲しいというお願いをした時、両塩さん小屋でも、どこであっても、お念佛の声が聞こえるところは、私のゆかりのある場所と考えてください。たくさんのところで、お念仏申すことは、誠に結構なことだと思います。」
空阿
「義理のお父さんの遺骨は、孫たち8人は分けてもらい、みんなでしようねということになっています。お念佛するところ、必ず、佛様がおいでです。如来様のみ光はあまねく十方
の世界を、照らしてくださるのです。色々なことをいう人がいますが、振り回されず、信念を貫くことが大切です。亡くなったひとがたたるなどということも、100%ありません。怖いのは生きてい人間なのですよ。亡くなられた方々は、千の風どころか、万の風、億の風、兆の風、京の風、ガンジス河の砂の数の風になっておいでなのです。地獄へ落ちた方は別にして。」

2019年9月10日火曜日

京浜急行川崎衝突事故


再び、京急川崎事故について。
新聞報道を読んでいたら、横浜市神奈川区で果物を積んで、千葉県内の取引先へ届ける予定のルートは、今回で4回目だったとある。
なぜ、高速道路に乗るには、国道の交差点をUターンするという、この業務でのポイントを
外してしまったのか。会社の同僚も驚いているというコメントもあったが、それよりも、このUターンして国道に乗るという、信号機のところで、これだけ大きなトラックが右折ではなく、Uターンするという、ルート設定にそもそも無理はなかったのか。
信号機のところで、普通乗用車でも、Uターンするのは、なかなか勇気が必要だ。信号機のタイミング、対向車線の交通量、道路幅、運転車両の回転半径と、道路幅員など、様々な要素のからむ、運転動作であり、差右折との、スキル程度は比較にならない。
よほど、切羽つまった事情が無い限り、信号機でのUターンはしないほうが、無難である。
いやそれよりも、やむなく、信号機Uターンというのは、してもよいのか、道路交通法では
問題ないのか、Uターン禁止という標識が昔は、あったように記憶するが、現在はどうなのだろう。現場も知らないで、余計な事言うなと叱られるか。
大型の車両には、それなりに大きい道路のナビゲーションがあるはずで、自己車両が通行できない幅員の道路は、その車両にとっては、無いのと同じである。
ナビゲーションがまだ試作段階のころ、北海道の道路地図をナビにのせようとしたら、地図会社の道路がところどころ、寸断されている。変だと思い、聞いてみたら、北海道では
幅員3メートル(だったか?)以下は、道路のうちに入らないから、載せなかったという返答がきたそうで、今なら笑い話だろうが、変に納得した記憶がある。
当市内でも、運転していると、積載量10トン以上もあろうかというトラック、トレーラーが、狭い道で、商品を倉庫に搬入しようとしている。倉庫への、面積十分とは言えない
駐車場へバックで駐車しようとして、しばらく、片側一車線の道路を占領することになる。大きな車を、駐車場へバックして入れる技術と、運転者さんへのささやかな思いやりで、ハザードランプを点滅させて、後続車へ、注意を促し、自分は、ゆっくり運転の美技を鑑賞するから、こうして待つ時間は結構楽しい、有意義である。
自動車の運転も、ある意味、人生の運転のようなもので、あおり運転で、他人を殺傷したり、高齢者の暴走運転で、無辜の他人の人生を奪ったり、自分の人生を終わらせたりする
事故が多いが、いくら予測不能の明日でっても、こういう死に方はしたくない。
今回の事故は、トラックを運転していたMMさん一名の死亡事故で、あとは怪我をした方々は、とんでもない災難だったろうし、お見舞い申し上げる。本当に、明日はどうなるかわからない。今日一日、平和で平穏でありますように。            2019.09.10

2019年9月7日土曜日

百日紅 電車大事故

今年は、お盆が終わっても、サルスベリの花がまだ咲いている。平年だと、お盆の墓掃除の頃には、花が散って、墓掃除用の水桶に花が散って、手で掬いだしたものだ。
気温なのか、私の、肥料が効いているのか
それとも、庭屋さんの、薬が効いているのか。本州の、当県の緯度は、さるすべりの木には、いささか、厳しいらしい。スス病とか、ウドンコ病に毎年かかる。
私の肥料は、コーヒーの出し殻を、そのまま、適当に撒くだけだが、少しは肥料として効いていると思いたい。

入り口の紅に対して、墓地内は白。百日白と言うのかしら?白も今年は、寿命が長い。
白は、木が小さいこともあり、日当たりの関係からか、ススもウドンコもでない。従ってコーヒーの出ガラのサービスもない。それでも、懸命に咲いてくれる。
台風が13号だ15号だとうるさい。京浜急行のトラックと電車の衝突事故から、3日。
道を一本間違えたばかりに、命を落とされた、トラック運転手さんの、ご冥福をお祈りいたします。ここからは想像ですが、会社での運転歴はそれほど長くなく、ドライバーとしてベテランであっても、この仕事では初心者で、13トントラックを国道の交差点でUターンして、高速に入るという、搬送道順の設定に無理はないのか。ダブルでドライバーを乗せるほど人余りの会社はないが、それにしても、もし初めての業務なのであれば、補助ナビゲーターをつけておけば、事故は起こらなかった。道路構造にも問題がありそうだ。

2019年9月4日水曜日

ホームページの事

各 位
南無阿弥陀佛 日頃のご精進大慶に存じ上げます。
この度 浄土宗法王山極楽寺 新潟教区長岡組 37番 のホームページを少々改定していただきました。
改定の基本的な考え方(コンセプト)は次とおりです。
1.わかりやすいこと。
2.情報過多にならないこと。
3.品が悪くないこと。
4.時々、自分たちの手で、内容更新ができること。
5.階層構造は三段までとすること。
6.可能な限り、これまでの電磁資産は生かせること。
7.パソコンからスマホへ時代の流れに逆らわないこと。
8.餅は餅屋にたのむこと。
だいたいこんなところでしょうか。それなりに時間と費用がかかりました。
ご用とお急ぎでないかたは、三条極楽寺で検索してみて下さい。
弊山のアドレスは、一次ドメインといいます。他所様のサーバーに間借りしてはいますが、他所様のドメインにぶらさっがった、二次、三次ドメインではありません。
http://www.jodosyu.jp  SSLは https://www.jodosyu.jpです。自分のサイトで、自分の好きなように、メールアドレスも作ることができます。
小衲のメールアドレスは booz@jodosyu.jp または osyo@jodosyu.jp です。どちらでも結構ですから、メール設定も開通したようです。ご意見、ご質問なんでも結構です。お寄せ下さい。もし、メール不達などの不具合がありましたら、お知らせ下さい。
ブログを、できるだけ書き続けたいと以前から考えておりましたが、三日坊主でつづきませんでした。ひとつだけ、googleの無料ブログが生きていて、これを今の所、活かしています。
三条極楽寺 → 和尚の部屋 → 芋猿の日記 ぜひご覧くださいと言えるほど、立派なものではありませんが、ネットの中など、どのみちゴミだらけ、マスコミもマスコミならぬマスゴミだらけ。九牛一毛と思し召して、呵々大笑願います。
各位それぞれお立場で、ご多用のことと存じ上げます。小衲ストレスの少ない、リンパ球の多い、安楽生活を送らせていただいております。寺で生まれ、75年も生きて、どれほどの因で、何ほどの果を得ているかわかりませんが、泥の中に咲いた蓮のように、死んで行ければ、これほどありがたいことはありません。
蕾のまま、死んでしまうか、一花咲かすか、自分で決めることではないでしょう。おひさまと空気と水さえあれば、なんとかなります。そういう風に仕組まれていると知りました。 念仏の行 水 月 を感じて 昇降を得たり とか。      2019.09.04

2019年9月1日日曜日

アビダルマ

またお勉強することが、増えました。令和元年8月30日(友引)東京都千代田区神田神保町1−101 神保町101ビル3階で、午後7時開始の「第63回サンガくらぶ仏教ビギナーのためのアビダルマ入門」を聴いてきました。
講師は藤本晃氏。この講習会に参加しようと決めるまで、いくつかのご縁のステップがあります。
とある葬儀のお手伝いに伺って、藤本氏の「供養ってなに?」をいただきました。私はお通夜には呼ばれませんでしたが、お通夜を執式されたお寺の副住職のご厚意によるもので
先に着いた控室の私の席のテーブルに「供養ってなに?」がおいてありました。
これが、面白い。よく分かる。私は、自分がいくら読んでも分からないものは、「縁無き衆生」と自らを諦めることにしています。
よくわかった人の話はよくわかるし、本もよく分かるし、面白いと思います。話の内容が腑に落ちれば、自分の肥やしになります。分からないものを、聴いたり読んだりしてもイライラするだけで、ストレスが大きく、許容限界を超えれば、病気になります。
さあ、仏教学を正式に学んだことのない私が、abhi-darmaに挑戦するのです。生き残れるか、あえなく戦死かわかりません。
「供養ってなに?」の後、同じ藤本晃氏の「浄土真宗は仏教なのか?」というこれまた超挑戦的な本を入手、キンドルで同時進行で、「日本仏教は仏教なのか?」を読み始めました。読み始めたところへ、サンガからこの講習会のお誘いメールをいただきました。
ちょうど、お盆も終わり、暑さも一息、連日の大雨も一息のような感じで、ご縁があれば
お仲間にしていただけるだろう、ご縁がなければ、それまでよと、メールいたしましたら、運良く、OKのお返事。
急遽私設旅行会社(かみさんのこと)から、九段下の安いホテルをとってもらい、聴講決定。行けるときにはこんなもんでしょう。かみさんと二人で、中国旅行したときも、思いもかけず、スペイン旅行したときも、こんな感じでしたなあ。
私のばあい、かなりの部分、食い物と、一切の物事が連動しているので、およそ坊主らしくない、いやもともと、テーラワーダの方々から見れば、まさに私などは「在家」なのでしょうから、親鸞聖人がご自身を「非僧非俗」と言われたように、仏教と大乗仏教に挟まれて、アイデンテティに悩むことなく、日常業務をこなすのは、京都の総元締めにみかじめ料を払って、お墨付きをいただく、伝統芸能の芸者であり、およそ宗教であるなどと、おこがましくも思わないほうが、よほど、これからの残された人生を過ごし易くなるでしょう。神保町で食い物探し。三省堂地下の放心亭(名前もよし)で。(別記します。)
大乗非佛説、浄土三部経偽経、西方極楽浄神話説を踏まえながら、そこをしっかり逃げ出さずに、議論しながら、しからば宗祖の教えをどう現代に活かしていくのか、あるいはもうどうにもならないか、つまり、本当にもう出家するしか道はないのか、どうやら真剣に考え直さなければならない時が来たようです。
講習会では、様々な感想を持ちながら、あらゆる物事を批判的な目で見がちな後期高齢者が、出家僧侶になることの本当の意味、テーラワーダで出家することの意義を教えていただきました。まあ、禅の二祖慧可断臂図を想起させられます。早い話、命がけということです。今何宗であれ、本当に命を掛けて、修行する人がどれほどおいでなのか知りませんが、案外、まだ大乗仏教も捨てたもんじゃないぜということができるような話を是非伺いたいものです。
サンガへスマナサーラ長老と藤本晃氏の「実践心理学7巻セット」を注文しました。さあ、少なくとも、読み終わらないうちは、死ねません。私にこれが理解できるかなあ。

2019年8月27日火曜日

友へ

携帯電話を度々変えて、しかも番号が変わり、ご迷惑をお掛けします。おまけに、今使っている携帯電話は、ドコモの「カード携帯」で、ヨコ×タテ×アツミが55ミリ×90ミリ×
5ミリ。重さ50グラムという、小さいものです。
どうしてこれにしたかというと、
1.ガラケーの時代は終わった。
2.スマホも色々やってみた。
  (1)フェイスブック
  (2)インスタグラム
  (3)ツイッター
  (4)その他
  SNSも性分に合わない。なにか連絡が来ると、一々イイネ、イイネと、アホかいな。
3.東京へ行って、道を歩く、電車に乗る。店に入る。駅へ行く。立っていても、腰掛けていても、必ずスマホを取り出して、何事か始める。明らかにスマホ依存症だ。もうやめよう。棺桶の中まで、スマホ持って行けないよ。
というとき、ドコモがやってくれました。
京セラと、こういうニーズもあるだろうということで、電話できればいいじゃないか、あとはそこそこの機能でいいだろうというコンセプトで、ドコモが作ってくれました。こんなもの売れないよと思っている、電話メーカーさんは、時代の風を読めない大企業病です。使いものにはならないが、ウェブも見ることができるし、必要最小限の機能は備えています。
なによりうれしいのは、スマホの電磁波が、脳に与える影響が話題になっていますが、それを最小限に抑えようと努力しているようです。充電器が少し大きいのが玉に傷ですが、
一台買って、使い勝手がいいから、もう一台、家内が専用にしています。
本体が小さいため、当たり前ですが、字が小さい。電話する番号は、普通の遠近両用メガネで間に合いますが、貴兄からのショートメールを読むには、読書用のメガネプラス拡大鏡が必要です。月々の料金も安い。いとこと話をすると結構長く、そういう方式の料金。
それでも、重たいスマホ持って歩くのに比べれば、なんと楽なことか。京セラの稲盛さんは、米日の電話料金の余りの違いに、競争しない社会は潰れるだろうと、KDDIを立ち上げたそうです。
スマホだ、タブレットだ、ノートパソコンだと、結構オタクっぽいことをしてきましが、
世の中をどう動かしたいのか、政治と企業と資本の論理に、右往左往しないように、少し
斜に構え、皮肉っぽく世の中の波風を見て行きたいと思っています。
  字が小さくても読みます。ときにはメール下さい。     2019/0827

生かされて

なんだか分からない写真です。自宅の裏の、側溝の、グレーチングの下50センチメートルに咲いた花です。花の名前は知りません。どなたかご存知のかた、教えて下さい。
反射して少し水があるのがわかります。水と光と空気があれば、このように、まるで刑務所のなかの囚人のような環境でも、花が咲いていることに、感動します。
グレーチングを外して花を救助?して、地植えしてあげたいような気にもなりますが、私たちも、孫悟空とお釈迦様の手にひらのお話のように、大宇宙の中、地上というグレーチングになかで、水を空気と光をいただき、生かされているのでしょうか。
生かされているといえば、NHKの夕方のラジオ放送で、全盲のセーラー岩本光弘さんのインタヴューをお風呂の中で聞きました。体を洗うのを忘れる位、素晴らしいお話でした。特に、日本に近づいてから、低気圧にあい、6メートルを超える波のなかで、エレベーターのように上がったり下がったりして、12メートルのヨットがもみくちゃになり、生きた心地がせず、死ぬかと思ったというくだりは、感動ものです。
辛坊治郎さんと一度、日本からアメリカへ横断に挑戦し、クジラと衝突して失敗した経緯があり、横断成功は、本当の喜びだったでしょう。
生死を分けるような冒険を経験した人にしか語れないような、言葉が出てきます。人間本当の難儀を経験しないと、生きる喜びを語ることができないのかもしれません。
東から受ける太陽の暖かさで、西の方向を知って、航行するという言葉など、落涙ものです。普段、阿弥陀様は西方浄土においでです、さあ行きましょうなどということは言っていても、首筋に受ける太陽の暖かさで、西方を意識しているでししょうか、普段の生活のなかで。目が見えないからこそ、言える言葉です。
目をつぶって、首筋に受ける太陽の熱で、西方を思いましょう。極楽浄土を思いましょう。心の底から、ああ生きていてよかった、私は生かされていると、岩本さんは思ったそうです。クジラ事件のあと、心ない人たちから、かなりきついバッシングを受けて、それでもめげずに、この大冒険を成功させた、岩本さんに、それこそ心から、おめでとうを贈ります。2019.08.27

2019年8月22日木曜日

昭和28年5月10日花祭り

昭和28年5月10日は、小衲御年9歳、小学4年生の春。三条仏教会主催の花祭りが東本願寺別院を会場に行われました。西別院から、東別院までの数キロの道のりをおねりするのです。その西別院は今はありません。いまは、鍛冶道場という市の施設になっています。
そのころの花祭りにBGMがあったかどうかは定かではありません。
♪昔も昔三千年 花咲におう 春八日 響き渡った一声は 天にも地にも われ一人♪
花祭りといえばこの、花祭り行進曲がついてまわります。戦後の軍隊映画に、軍隊行進曲がついてまわったように。軍隊行進曲が、パチンコ屋のテーマミュージックになったころから日本はおかしくなりました。
新潟の、一地方の町三条の、仏教会の花祭りに、本物のぞうさんが、歩いたのですよ。
写真の出どころは、2006年3月3日 株式会社郷土出版社 「三条加茂今昔写真帖」です。勝手に使ってすみません。
この写真をアップしたのは、ぞうさんを見て頂きたいのと同時に、ぞうさんの左側を少し離れて歩く、少年にご注目頂きたいのです。御年9歳にして、この花祭りは俺が仕切っているんだという、少年の気概を感じて頂きたいのです。小衲です。
ぞうさんから少し離れて、右後方を歩く紳士は、当山大壇越であった、まるよしの故吉田熊次、花祭り奉讃会長さん。そのまるよしさん、今はありません。
吉田さんと弊山の先住とは懇意で、花祭りへは、多額のご寄付を、毎年頂戴し、物心両面に渡るご支援を、長い間頂戴しました。
文化を育てるには、お金がかかります。予算化されない事業は、絵に書いた餅です。おなかはふくれません。傘を持ってお歩きのお坊さま、そのすぐ後ろのかた、ぞうさんの左後方のお坊様。どなたでしょうか。いずれも故人でしょうか。
西別院から東別院へのおねりの途中、いもやさんという屋号の八百屋さんの店先のりんごを、このぞうさんが鼻先で上手に掴んだなどという思い出も、弊山先住と協力して、花祭りを盛り上げてくださった、三条市内の故住職さん方々のお顔とともに、懐かしく思いだされるのは、後期高齢者の仲間入りした、小衲の感慨でしょうか。
三条まつりには必ずついて来た、サーカスもいつか無くなりました。そのサーカスから来てくれたぞうさんが、いまどうしているのかなあなどと考えてしまいます。
小衲の頭の中では、長崎の原子爆弾の後の、死んだ兄弟を背負った少年の写真と、このぞうさんと一緒に歩く私の身なりがダブります。
同時代を生きた者同士にしかわからない、時代の空気、匂い、皮膚感覚は、ラジオを流れる「訪ね人の時間」とか「街頭録音」とか「大相撲中継」などの記憶とともに、団塊の世代が死に絶えるとき、地上から忘却されてしまうのでしょうか。

2019年8月20日火曜日

CDを贈ります

ご迷惑でしょうがCDを贈ります。
何のCDかというと、燕三条FMで
放送された音声のCDです。
弊山では、毎年、6月の終わりの日曜日
に、お地蔵様の縁日を行っています。
6月初旬でしたか、燕三条FMの担当者
から、番組取材のため、来山したい旨
お電話いただきました。
6月25日(元祖様ご命日)においで
と約束しました。当初。
約束してから、後から気がついて、再度
電話しました。
6月23日にお地蔵様の縁日祭と
「おるごーる♪お話音楽会」が予定されて
いるから、日曜日の仕事になってあなたに
は悪いが、23日を取材して、足りなけれ
ば、後から追取材したらどうかという、
提案を快諾していただき、追加の取材もなく
このCDを、送っていただきました。デジタ
ル化石の小衲は、詳しい人のお力で聞くこと
ができました。
7月中にすでに放送された分です。
各位に聞いて頂きたいのは、お孫くんの声
です。単独インタビューを受けていたらし
い。母親も、私も知りませんでした。
小さくても、燕三条FM立派な公共放送で、
そこにお孫くんの声が残りました。
燕三条FMのファンがどの位おいでかわかり
ませんが、何人かお聴きになったでしょう。
ご多用の各位にお耳をお借りして申しわけ
ありませんが、私の漫談インタビューの次
の回にお孫くんがでてきます。
燕三条FMのTTさん。アイサポートのKY
さん。ありがとうございました。特にTT
さんには、改めて、こちらのデジタル音痴
にお付き合いいただきました。ありがとう
ございました。
結果が出て考えたことは、早く、アンドロ
イドとIOSのアプリを作ってもらい、きちん
としたスタジオで録音した音声を、スマホ
で聞けたらいいかな、命日になったら、
お経を再生して下さい。お仏壇もお坊さん
もいらなくなりますよという次世代の様子。

2019年8月4日日曜日

1945.08.09.AM11:02

長崎に原子爆弾が投下されたあと、一人のアメリカ軍曹さんが、被爆後の写真を撮りました。裸足の少年が、背中に幼子をおんぶして、凛々しい顔で立つ写真です。
百万言を費やすより、一枚の写真が、戦争の悲惨さを雄弁に物語るとしてフランシスコ教皇が、お配りなった写真でもあります。

勝手に BSTBS さんには、無断で、ホームページから写させていただきました。

ジョー・オダネルさんのコメント
佐世保から長崎に入った私は小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男たちが目に入りました。男たちは60センチほどの深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。荷車に山積みした死体を石炭の燃える穴の中に次々と入れていたのです。10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。弟や妹をおんぶしたまま、広場で遊んでいる子供たちの姿は当時の日本ではよく目にする光景でした。しかしこの少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも裸足です。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。
少年は焼き場のふちに5分か10分も立っていたのでしょうか。白いマスクの男たちがおもむろに近づき、ゆっくりと葬るように焼き場に熱い灰の上に横たえました。まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い立ち
ました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です。炎を食い入るように見つめている少年の唇に血がにじんでいるのに気づいたのは。少年があまりキツくかみ締めているため、唇の血は流れることもなく、ただ
少年の下唇ににじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去って行きました。

この少年に、私たちは何を言えるでしょうか。丸刈り、裸足、半ズボン。10歳ほど私の先輩の少年は、ご存命でしょうか。ご存命なら85歳くらいになっておいででしょう。

この少年の写真を拝見していると、なにやら世代も、様子も、自分自身を投影しているようで、他人事とは思えません。戦争の記憶がない私の、この写真は原点です。

極東裁判は裁判でさえなく、インドのパール判事が、いみじくも喝破されているように、ただの、戦勝国による、戦勝国同士の、ガス抜き、復讐芝居でしかないことは、明々白々です。戦争犯罪を云々するのであれば、非戦闘市民に無差別の空襲で、日本国中を焼け野原にし、死臭の中を連合国空軍兵士でさえ、飛行するのがイヤになり、挙げ句、無差別空襲を止めさせるための、米国軍内の覇権争いに、英国チャーチルの「原爆投下OK」を得てのジェノサイドでした。これを戦争犯罪と言わずに、戦争犯罪などどこにあるのでしょか。

2019年7月7日日曜日

諸行無常

極々普通の意味で、変わらないものはない、全ては変化する、あらゆる物事は、進行形であるという意味の。諸行無常である。変わらないものはない。
夏、施餓鬼のシーズンだ。いくら考えても、ご本尊様の向かい正面に、施餓鬼壇を作り、
二河白道のように、茣蓙をひき、参拝者は、河に向いて、お参りする。横向きにお参りするのは、なにか、美しくない。面白くない。
美しくなく、面白くないのは、椅子席にしたせいだと、気がついた。畳の上に座っているのであれば、本尊→施餓鬼壇と場面に応じて、向きを変えればいいだけで、収まりはよい。美しい。椅子だと、顔だけ西を向いたり東を向いたり、体は斜め座りになる。
畳の上から、椅子になるのに、どれくらいの日時が必要だったのか。自分が正座できなくなって、初めて気がついて、本堂も椅子にしなければならない。そういえば、ある檀家総代さん(故人)が寺の法要にお参りする、特に御婦人のご高齢者を、笑顔交えて「足投げ出しばば」と表現されていた。
椅子もなく、座布団も出さないで、仕方がないから、柱に背中を保たれて、足投げ出しばばにしか、なれないではないか。それでも寺参りして頂いた、あのひと、この人、往生された皆さんが懐かしい。せめて座椅子くらい用意すればよかったと、反省しきり。
椅子にしたら、邪魔になったのが、お膳と座布団。リサイクルもきかず、買い手もなく、
結局ゴミ。お膳は中黒の塗り物だった。食器は現役だが、お膳は、一部、教区の研修会時、有志ご寺院から引き取っていただいた。お使いなのだろうか。
座布団も布団やさんへ電話したら、市役所の環境衛生課へ電話してくださいと言われた。
早い話、ゴミにしかならない。
生活様式が変わると、物事が、変化して行くということであれば、なにも施餓鬼壇を外陣に作らなくても、内陣にあげてしまえばいい。毎年、施餓鬼壇を解体して、仏具庫にしまうので、バラシと組み立てはなれている。多少手間でも、令和にもなったし、今年から、内陣に施餓鬼壇を作ってみよう。
そのほうが、お参りの姿として、迷いがない。美しい。法式のビデオを見ると、古くは内陣に施餓鬼壇を組んで、お参りしていたし、先代が、施餓鬼壇を購入するまでは、内陣だけで、終わっていた。多分、他宗の施餓鬼などを見て、そのほうがカッコいいということの、模倣が一般的になった。ただしそれとて、畳、おすわり方式の中で、有効であって、
椅子式になれば、どう考えても、うまくない。座面回転式の椅子を揃えなければ、ならない。まあ、無理な話であり、無理が通れば道理は引っ込む。衣屋の餌食になるな。
早めに組みたてておいて、7月28日新盆施餓鬼で、リハーサルして、8月11日の本番
に備えよう。なんとかなるさ。
維那は大金の代わりにドラを使おう。あとは割笏だけ。鳴り物はいつものとおり。暑くて
うるさいから九下三通で終わり。木魚は始末が面倒で、今年からやめる。冷房のない本堂に100人を超える人数に入って頂くだけでも、暴挙だ。できるだけ短く、終わらせたい。それにしても、涼しくてよかったねえと終わりたい 。
施餓鬼の意味も、阿難尊者のオッカ様が逆さ吊りになってなどという話をいつまで続けるのだろうか。逆さ吊りの刑が、実施されているのであれば、いくらか意味もあるが、ただの昔話は、ふーんで終わり。むしろ、飽食を戒め、断食を奨励し、健康寿命を少しでも長くして行こうよという、「餓鬼推進」あるいは「羅魔断」運動を起こすべきだろう。病は口からが、先代の口癖だった。そういえば、親父の米粒の量は少なかった。この歳になって、ようやく、低糖質に目覚め、健康寿命と平均余命の差、ほぼ10年、寝たきり被介護を回避したいと、念じながら、実行している。  夏が来るああ夏がくる夏がくる。

2019年7月4日木曜日

往生

歳をとると、だんだん寂しくなる。過ぎた時間のほうが長く、これからの時が短い。今年は後期高齢者の仲間に入った。2年後の免許証更新には、認知症の試験が入るらしい。10時10分の時計を書いてくださいと言う問題が有るぞ、とか、絵を見せておいて、関係のない話に一旦方向転換した後で、さっき見た絵を何の絵だったか、書いてくれとか、今のことを記憶できなくなってきた自分としては、些か、心もとない。
ここのところの葬儀の居士・大姉が、百四歳とか、九十九歳が重なると人生百年時代がきたと考えてしまう。百まで生かされるのですよ。死ぬことができないのですよ。どうしよう。人間で死にたい。動物になって死にたくない。
法然上人は、人寿十歳につづまり、つまり、おいおいこのまま行くと、人生十年時代が来てしまうぞと心配されたようだ。当時の世相を見ればそう考えてしまっても無理はない。
加茂の瓦に死体ごろごろ、羅生門は死体廃棄場、その死体から衣類を盗む盗賊、疫病・天災・戦乱。子供は無事育てば儲けもので、死んだ子供の数だけ、石の小さなお地蔵様がござらっしゃる。親心思うだに哀れである。
昔は往生行儀、往生のための作法があったと聞く。だれも教えてくれないから、自分で勉強するしかない。
いまのところ、わかったことは、以下のとおり。
1.救急車は呼ばない。
2.リビング・ウイルを書いておく。(尊厳死協会に入ろうか)
3.毒キノコを食べたお釈迦様の治療方法は正念だった。
4.時々断食して、食べられなくなったときに備える。
5.ダンボールの棺を準備しておく(だいぶ安くなった)
6.長々しい戒名はゴメンだ。自分で位牌を書いておく。(空阿祝人)
7.写真も気にいったのを選んでおく。
8.通夜・葬儀は飲み食い禁止。(一周忌は盛大に)
9.病院は嫌いだ、病院へ入っただけで、塩梅が悪くなる。(多剤耐性菌の蔓延)
10. 棺の中で、お檀家さんと、お念仏しながら、息を引き取るのが理想。
11.死亡診断書を書いてくれる、医師・歯科医師と仲良くしておく。
12.死亡診断書に自署しておく。(リビング・ウイルとセット)
本稿は、時々書き直すかもしれない。また新しい知見が出てくるだろうから。
(2.)と(11.)は、普段から携行しておいたほうがいい。健康保険証・IDカード
印鑑も。いつどこで、何があるかわからない。
                         2019.07.04




2019年6月28日金曜日

健康死

皆、一応に、健康で死にたいという。病気はいやだ。寝たきりいやだ。被介護いやだ。いやですよ、そんなもの。だれでも。
近藤誠さんの「最高の死に方と最悪の死に方」を読みつつある。ふと考えたことがあるので、忘れないうちに、書いて置こう。
それは、外科医が切りたいと言ったら、文書を作っておいて、まずそこへ署名捺印してもらう。それに同意した医者のみ、手術できる仕組み作りだ。
病気の対象は、主にがんだが、治りそうにもないものを、やたら切りたがるのが外科医らしい。彼らの信念で、こうすれば治るはずだと、施術するが、彼らが考えるほど、人体は
単純ではない。繊細にして精密、34億年もかけて進化してきた、ホモ・サピエンスの体は、不思議知の領域に所属する。
高々、一生かけて勉強したくらいで、人体のことを、わかったつもりにならないで、欲しい。都道府県内にある医学部の数が多いほど、医学部教授の数が多いほど、その都道府県の平均寿命は短い。反比例する。
次は、我が家の家憲のひとつである。
       中医は無医に如かず 中くらいな医者ならいないほうがいい
切ったり、薬で治そうとするから、とんでもないことになる。少し名前が売れると、門前市をなして、正規の料金のほか、闇診療報酬を平気で受けとり、薬屋からは、膨大な、謝礼金額が動く。「ご夫婦で、ハワイ旅行をファーストクラスで」位は当たり前とか。
おかげで、役にも立たない薬が、バカバカ売れて、薬屋は、笑いが止まらない。
とにかく、医者には近づくな、薬は飲むな。世界一の名医は、お釈迦様だと知るべきなの
である。
そこで、万が一、医者が切りたいと言ったら、見せる文書案を作ってみた。各位のご高見を承りたい。
                  念   書
凸凹次郎様
このたび、見つけたあなたのがんは、 切除 薬物投与 放射線治療 などなど により
手術・施術・投薬・などなど すれば、全くの予後の心配なく、QOLも落とすことなく、完璧に回復することをお約束いたします。
もしこれに違背することがあれば、刑法第205条傷害致死罪等によって、告訴・告発されても異議ありません。
また、民事損害賠償責任では、精神的慰謝料・必要経費一切等、貴殿お申し越し金員を遅滞なく、完済にいたるまで、お支払い申し上げます。
私の全身全霊にかけて、以上のことを、お約束申し上げます。
念のため、この証を三通作成し、当事者および第3者において各々保管の上、可能な限り、訴訟・裁判等、無駄な時間と無駄な費用を使わずに、人生を楽しく過ごせるよう、お互い共生いたしましょう。
              ○○年〇〇月〇〇日
                 医師免許番号**********
                        やぶいばいあん 印
                      年 月 日 生
これで、署名捺印してくれる、医者などいるはずがない。したがって、あなたのがんライフは、安全で、平穏で、静かな穏やかな最後を迎えられるはずである。
これを、世に、大往生という。死にたくないが死を引き寄せる。生かされている感謝で、
あなたは、生きてしまう。

2019年6月25日火曜日

人生案内

2019年6月24日の読売新聞。「人生案内」
義母の法要でのこと。法要後お食事(これはおとき お斎という)に欠席連絡のあった義母の弟夫婦が、お斎に座ってしまい、予定していた次女夫婦が座れなかった。そのことを悩んで8年です。どうしたらいいでしょうか。
皆さんどう思います?
考えられる答えを、羅列します。
(1)いつ、どこで、だれが、なにを、なんのため、いくらかけて するのか明確になっていないからこういうことになる。5W1Hなど、小学生でも知っているだろう。
(2)云った、いわないは喧嘩のもと。少人数ではあっても、書いたもの、文書・はがきの連絡にする。高齢化で、ますますこの手のトラブルが増えるだろう、云ったいわないという。
(3)当世風にするなら、法要参加費例えば、1万円、食事参加費例えば1万円と明記し
参加事項に丸印をつける。こうすれば、よほどの阿呆でない限り、出席・欠席くらいは連絡してくれる。それも忘れるようでは、認知症であり、付き添いが必要となる。かくいう私も、そろそろ、その領域に差し掛かっている。
(4)善後策の講じ方が下手。ご霊前の中身で「忖度」するのではなく、食事会へ参加するのかどうか、本人に確認し、確認できた時点で、応急措置が可能であれば、追加・キャンセルが可能化かどうか、食事場所へ電話連絡する。ドタキャンを業者は喜ばないだろうが、この場合二人前くらいの追加はできないような、食事場所なら、やめたほうがいい。
(5)葬祭風習は、地方によって異なり、自分の常識は通用しないと知るべきであり、ご当地の風習は、知らないことを前提に、ねほりはほり問糺こと。行事の予定内容がわからないようでは、自分の行動予定が立たない。地方の常識、他地方の非常識。
(6)早い話、全て、少子化と核家族化がもたらした。挙げ句、自分の無知を棚にあげて
面倒だから、法事を止めよう。面白くもないし。そんなことに頭と金使うのなら、デズニイにでも行って、孫の喜ぶ顔見れば、死んだおじちゃんも嬉しいに違いない。よって坊主
と料理屋は泣きを見る。
(7)年忌の案内が寺から行ったら、それぞれ予算に応じて、何もしないのではなく、お墓へ花を飾って、手を合わせるだけでもいいから、なにかしてほしいという、言い方をしている。
(8)8年も悩まないで!年忌法要はまだやってきます。次回は失敗しないように。
世の中には、いろいろな人がいて、面白いのでしょう。それでも、どうでもいいことをどうでもいいことと考えられなくなったら、一応病気な?と考えられるくらいの、余裕は欲しいものです。
試してみて下さい。
1.甘いものは食べない。
2.お米は減らす。
3.小麦粉は避ける。
4.炭水化物を減らす。
5.グルテンを避ける。
これだけでも、随分違います。お腹の中身と、頭の中身が密接に関係していることがわかってきました。
どう生きるかということと、何を食べる(なにを食べない)かは、直接関係してしています。それは、思ったより大きなおおきな関係性がありそうですよ。

2019年6月20日木曜日

お見舞い申し上げます

目の手術で入院と伺いました。そういう状況とは知らず、地震のお見舞いを電信で差し上げ、失礼いたしました。ご入院の病院名や入院期間がわからず、お見舞いにうかがおうにも、あまり電話を差し上げても失礼かなとも考え、この文章と、本を一冊お送りします。とにかく、ゆるりとご静養いただき、ご回復をお祈り申し上げることにいたします。
加齢で様々な変化が体に現れます。私も、メガネを作りに行って、メガネ屋に、眼科へ行って診察してもらったほうがいいですよと言われ、素直に従った結果、加齢性黄斑変性症なる病で、目に注射を3本、1本5万円と言われ、思わずウンと唸ってしまいました。値段もさることながら、目に注射というのが、なんともおっかなくて、2〜3時間かんがえました。いくらおっちょこちょいでも、はいどうぞとは返事ができませんでした。
ふと思いました。手術で片目なくなっても、もうひとつあるじゃないか。片目で生きてる
やつは何人も知っている。右手切り落として、左手1本で絵を書いた、偉い画家だっていた。云々。ヘレン・ケラーさんの話もある。目一つでおたおたするな。
山より大きなイノシシは出ない。そう思うと気が楽になりました。リラックスして手術を
受けることができました。昨今の白内障の手術は、技術が進み、ほんとに、気楽に受ける
ことができるそうです。
もう一つ、貴方様には、体の問題があることも、伺っております。これもある意味、覚悟
の問題です。糖尿病は家族性(Ⅰ型)と、生活習慣型(Ⅱ型)があると聞きました。Ⅰ型
の場合は、遺伝的に、膵臓に問題があり、いくら注意しても、インスリンを打たないと生活が難しくなるとも言います。
Ⅱ型の場合、貴方様の場合は、酒を始め、過度の飲食が原因でしょう。医者でもないものが、勝手なことを言ってすみません。私はそう思います。
糖尿病あるいは、糖尿体質には、可能な限り、糖質を摂取しなければよいのです。なにを食べるか、結構難しい問題ですが、うなぎ弁当を食べるのであれば、うなぎは白焼きにして、たれ・ご飯なしにすればよいのです。糖尿体質の方が、食べてよい食品が結構市場に
出ています。少しずつですが、糖質制限という考えかたが、浸透してきました。しかしながら、コメ・麦・芋類・砂糖などなど、炭水化物を多く含む食物を一切排除するという、
我が豊芦原瑞穂の国、日本でコメ食うなといったら、これは、大変なことになるでしょう。地球が動くまで、数百年かかりました。日本の農作が、コメから大豆へ転換する日は
そう遠い将来のことではないような、気がいたします。
完全糖質制限食で、糖尿病を治療する、京都では高雄病院が有名らしいとか。私も甘いものが好きで、文字どおり、食べたい欲求と戦っています。結果は、体重計にすぐ現れます。
本当に正直で、油断するとすぐ1キロはすぐ増えます。我慢で減らします。体調万全です。
後期高齢者にして、薬ゼロ。コレステロール、中性脂肪、血圧降圧剤等一切拒否。
死んでもいいから、薬は飲まない。薬に殺されたくない。以下の三つを守れば、大往生できますと、お檀家には、ことあるごとに、お話します。
 一つ なんでもよく噛み丈夫なからだ
 一つ なにこごとも過ぎたるはなお及ばざるがごとし
 一つ 腹八分目医者知らず
 付録 中医は無医に如かず
以上順不同です。

2019年6月19日水曜日

ご転居のお知らせに

ご転居者様
たまたま、半世紀来の知人から、転居通知が届いた。学友というには、畏れ多い方と、もうお一人は、三親等縁者の旦那さんから。どちらも葉書に、それぞれ、肉筆の文字が添えてある。パソコンという道具は、年賀葉書を作るための道具とお考えの方が多いようにお見受けするが、沢山来るお年賀も、印刷ものは、余り好んで読みたくはない位、やはり手書きの字は嬉しい。
自分の字が、うまいとか下手だとか、思わなくなって久しいが、DNAも世界で我一人、字
も、自分の字は他人には書けない(位下手)と思えば、字の上手下手は論外であり、まず
己が文字で、文章の稚拙もしかり、書いて見ることだと己に言い聞かす。
転居のお祝いを何にしようかと考えたが、ものがあふれ、情報が溢れ、飽食と情報インフレの 世の中で、これはというものがない。
食べ物にしても、時期からして枝豆などよろしかろうが、それとて、当地までご来駕いただいて、三タテ、なりタテ・もぎタテ・うでタテをご賞味頂くのでなければ、感激は少ない。物品でも、人類の宝を、日々画像で、拝見できる世の中であってみれば、なまじな品でご満足頂くのは難しい。
そう考えると、この拙文に、以前機会があって、書かせて頂いた「みんなのエッセイわたしの初恋」という小冊子が手元にまだあり、これを送ることにさせていただこう。
文の巧拙は問わず、古希過ぎのじいさんの、初恋談義が面白うはずはないが、エッセイ集
に乗せる誘惑に応募したら、新潟地元の出版社に採用された。ボツにならなかったというか、自分がなにがしかの掲載料を払って応募するものであり、掲載されてあたりまえか。
喜怒哀楽書房という名の、俳句大好き経営者(女性)の制作冊子で、小文は、俳句で始めた。
        こきすぎて はつこひがたり もみじもゆ
冊子60ページ「はつこひ」祝人空阿が、拙文である。空阿というのは、坊主もいい加減
歳くってから、子供世代の連中と一週間合宿して、お勉強して正式に、宗から頂いた名前であり、勝手に自分で付けた名前ではない。字面が自分好みであり、自己紹介にも都合がいい。
「空と阿弥陀様の阿で空阿申します。なにか偉そうな名前ですが、頭は空っぽの阿呆という意味です。」
祝人というのは多少解説が必要である。しゅくじんと読んでもいいが、本来この字はほいとと読む。今どきでいえば、差別用語にあたるだろう。乞食のことだ。
お釈迦様は、お弟子を「汝等比丘なんだちびく」と呼ばれた。汝等比丘とは"Oh!You
Begger!" の言いである。俺たち乞食だよなというのが、釈迦の認識で、それが、錦金襴
の袈裟衣でそれぞれの宗派で自分勝手な経文を唱えて、なにがしかのしのぎになるという
のだから、お釈迦様もびっくりだろう。
ご転居様。引っ越しすると荷物が減ってありがたいと考えるようになったのはいつからだろう。大学生三年のころには、本は全部古本屋、家具一切なし、手元に300円というのが、毎月の、月半ば頃の暮らしだった。
お棺には、何も入りません。思い出だけです。今生で、沢山のよい思い出を作り、いつか来るその日に備えましょう。よい思い出を作るためには、まず健康でなければいけません。後期高齢者にして、薬ゼロ。体重56.7キロ。体重測定機の判定94点。極力糖質
を取らないように。甘いものは謝絶。その他の数字知らず。DNA鑑定結果賞味中です。

2019年4月26日金曜日

高齢者の自動車運転

自動車という位なら、自動で動くのかと言えば、人間が運転しないと動かない。中国語で自動車をなんと云ったか忘れたが、動力で人間が動かす、乗り物。移動に使用する。自動車工業会は、本当に、自動で動く車を、最初に作ったほうが、勝ちとばかり、競争に勤しんでいるらしい。
車の事故があり、事故原因が、運転者の年齢だと思われる事故が、多くなった。高齢者が
増えているのだから、高齢者の運転者が増えるのは当たり前で、己の能力を信じて、いつまでたっても、運転できると勘違いして、大きな事故を起こす。運転免許証を返上したら
公共の乗り物はすべて無料にでもすれば、もっと返納者が増えるだろうが、もともと運転免許証を持っていなかった者と、不公平を生ずる。
かくいう自分も、後期高齢者の仲間入りをして、いつ免許証を返上するのか、悩ましい。
歩いて行けるところだけしか、用事が足りなくなってしまう。いつまで運転できるのかと
いう問題は、自分はいつまで生きているのだろうかという問と同じで、明日からだめといわれれば、諦めるしかないが、だれもあしたまでとは言ってくれない。
3歳の女の子と30歳少しのお母さんを殺してしまった、87歳のじいさんは、昨日まで
極楽にいて、事故後は地獄だろう。人間であれば、悔やんでもくやみ切れないというところだろうが、自動車が、貴方の運転は危ないから、もう自動車運転はやめましょうという
くらいの、機械が作れても不思議ではない。
スマホに今日の天気は?と聞くと、自分が住んでいる場所の、最低・最高気温と、ざっとした天気予報を教えてくれる時代だ。
87歳のじいさんは、アクセルが戻らなかったとか、言っているらしいが、車をつくるほうも、バカではない。飛行機の何とかボックスのように、運転操作の記録が残るような仕掛けがしてあるに違いない。
昔、子供のころ、なにかまずいことをしでかして、大人に叱られると、責任は自分ではない、一緒に遊んでいた、他の子供の責任だと、責任転嫁した。子供は全部そうだった。とりあえず逃げる。
それと、頭の中で考えているであろうことと、運動・行動が一致しなくなる。考えてはいるが、考えたことと異なる行動・運動を行っていることが多い。これも認知症なのだろうが、Aのことをしようと考えながら、実際はBをやってしまう。本来Aでなければならないのに、Bを行っている。日常茶飯事でそれがある。つまり、ブレーキを踏もうと頭では思いながら、アクセルを踏んでしまうのではなかろうか。頭の中のことはよく分からない。
とは言いながら、どうしたら認知症にならないか、多少の努力はすべきで、心構えを列記する。
1.炭水化物はできるだけ摂らない。
2.タバコはだめ。
3.酒は程々に。
4.グルテンは遠慮する。
5.適度な体操。
6.長時間睡眠。
7.思い立ったらすぐ実行。
8.何でも興味津津。
9.我慢しない。           とりあえずこんなところか。8/27


2019年4月17日水曜日

お相撲見学

相撲観ないかという、ありがたいお誘いで、令和元年5月13日、蔵前国技館へ行くことになりました。
小学生徒のころ、多分2年生か3年生のころ、我が町へ、大相撲の地方巡業が来ました。横綱で言えば、照国が引退してすぐ、羽黒山伝説がまだ巷に残り、東富士・千代の山・鏡里・吉羽山がきら星のように並んでいた頃です。三条へ、おいでになったのは、どの横綱か、記憶がありません。
極楽寺へ、何人かお相撲さんたちが、寝泊まりして、四股名を加茂錦というお相撲さんが
体調を崩して、土俵に上がれず、私達ガキ共の相手をしてくれたのを、覚えています。
お相撲さんがたが、出入りするだけで、なんとなく賑やかだし景気がいい。言って見ればお祭り騒ぎを、子どもたちが嫌いなわけがありません。
あとで聞いた話では、ニチロ漁業の創業者のご兄弟が、吉葉山のたにまちで、そういった関係から、三条への地方巡業もありだったのかと、今では思っています。
ラジオで熱中した、栃若時代。そのラジオも、母親の兄弟が手作りの、コンソール型の、蓄音機で、大きなラジオでした。テレビの時代です。ラジオで聞く大相撲スポーツアナの興奮と己の興奮を共有した、あの感動は難しい時代になってしまいました。
名人は上手の坂を一上がり。名人といわれるほどのアナウンサーは、相撲の番組前に、次から次へ繰り出される数々の四十八手を、立会前に、そのアナウンサーの事前放送のとおりに、お相撲さんが動いたという伝説があります。
アメリカのマスターズゴルフの映像を見ているうちに、この、実際よりも前に、実況放送するという伝説を思い出しました。かつてのヒーロー中島常幸さんの解説が、この相撲放送なみに、現実を氏が予言したとおりに、ことが運ばれることに、感動しました。
中島さん位になると、タイガーがどうプレイするか、予測でき、しかもその予測がピタリピタリとあたるのです。世界のベストゴルフプレイヤー同士ならではの、放送でした。
競馬も、のめり込んでいくと、なん千レースにか一度位、1着から3着馬まで、どう走って、どうなるかわかることがあります。その時、今だ、ナウとばかり、全財産を投入できる人はそう多くはいないでしょう。私もそんな勇気がなくて、幸せです。切り株にころり転げたウサギさんを、いつまでも待ってはおれません。
相撲の話が、ゴルフへ、競馬へとなってしまいました。相撲だって、相対での賭け事にすればきっと面白くなるのでしょうが。気力も財力も相手もいなくて幸せです。
大きな空間の中、きれいな証明で、お相撲さんが一番キレイに見えるように、色も、温度
も湿度も調節されて(少し暑いくらいか)、桟敷は少し狭いが、4人用を3人で使っているので、贅沢といえば、贅沢です。
桟敷の料金に入っているので、飲み物は好きなだけ飲めます。お酒好きな方はたまらないでしょう。相撲見物は、トラックで来たほうがいいかなと思われる位たくさんの食べ物と、お土産で、お腹は一日座っていても十分満たされます。
知人と相撲見物の話になったとき、本当に相撲の好きなお嬢さんが、朝はやく国技館についたら、茶屋の方に、あまり早くこないで欲しいといわれたとか。
本当の相撲好きは、少ないお客の中で、真剣に相撲をとっている、番付表の下の方たちの
取り組みを見て、こいつは見どころがある、いずれ出世するだろうと贔屓にするのが粋なタニマチで、競馬も時間的に早い番組のパドックで、イツカこいつは、オープン馬になると将来を夢見るのが、本当の競馬ファンドだと聞きました。お相撲と競馬を一緒にしてすみませんが、そういえば、仕込み済の新酒をキイテ、こいつはン年後に化けるぞなどと、先物投資をするのが、楽しいのだそうで目先が利くことは、人生の楽しみなのでしょう。

2019年3月27日水曜日

筆記具

万年筆が嬉しい。キーボードで入力するのは、苦痛である。生まれつきの、ローマ字民族ではい。パソコンが、アルファベット生まれであることを考えれば、いまのように、日本語を、自在に表現できる時がくるとは、思わなかった。
カタカナしか入力できず、電報のような、情報で我慢したのは、どのくらいの年月だっただろうか。さっき、ラジオで漫才やっていたが、「毎日どんどん進化するという四字熟語は?」「日進月歩」「違います」「なによ」「携帯電話」(笑い)
思わずにやり。パソコンもそうだ。ここまでの道のりは平坦ではなかった。W310から
始まって、W95、次から次へと、買わされて、機械は進化を続け、国民機9800シリーズがあり、アップル革命があった。
値段が半端ではなかった。アップルSE(初めてハードディスクがついた)のセットは、キーボード、マウス、プリンターで130万円した。かみさんには内緒で、ポケマネで買った。会社が買ってくれないなら、自分で買うさ。
For the left of us.残されたすべてのもののために。ジョブズの意気込みを感じた。ハイパーカードの使い勝手のよさは、今でも通用するとおもうよ。W3なんて、使えたものではなかった。バイナリー言語がわかるものは知らず、コマンドなんて頭に入るものではない。多分このわかりにくさを、キチンと学習して、将来に備えた者は、財をなしているのだろう。行く先の見当は、おぼろついても、それを、incomeにつなげるのは、やはり才能だろう。商いは別物である。人の心を掴まなければならない。
出版だろうが、手紙だろうが、パソコン叩いてメールでサ!、という時代になった。電話
はもう、迷惑道具と心得なければならない。かかってきた電話に、でるのには、頭を、電話モードに切り替える→受話器をもつ→相手によっては、演技する。ニコニコマークのどの顔にするか→情報を受取る→反応する→終わる→受話器を置く→頭を電話前の仕事のモードに切り替える。これを、AI並に動かしている最中に中断されるのは、私もいやだ。
携帯電話の番号を知っているのは、家人、親友、兄弟位なもので、SNSも、あまりのうるささに辟易する。
75歳にもなって、お誕生日おめでとう言われても、そらぞらしい。紙と万年筆で、原稿書いて、財をなした人たちは幸せだった。その前は、文房三宝で、国を起こした、中国の
故事もある。道具を通じて、人の心を動かすことの大変さは、いつの時代であれ、難しい。私の買える万年筆は、精々、2万円どまり。ペリカンとSAILORで楽しんでいる。

誤診 メデカル・ドラマ 第2弾

ー悪意なき過ち 決別の勇気ーがサブタイトル。コピーを作る人たちは、上手だね。まさにこの言葉に尽きる。
子供の病気、テーマは癲癇。病気の中身の詳しいことは、映画を見ていただくなくてはならない。ある日突然発作に襲われ、それはほんの、地獄への道の始まりにすぎない。近代
医学の誤謬ということで、本を書いたらどのくらい、具体的事例が集まるだろうか。
私の子供がこの病気になったらどうしよう。この子供の父親・母親のようになれるか。しかも、ここでも、天動説の中で、地動説を唱えなければならない。子供と向き合うのさえ
大変な中で、世間の「悪意なき過ち」と対決しなければならない。
まかり間違えば、牢屋に入れられるかも知れないのは、ガリレオ・ガリレイと同じだ。子供の病気は、手当すればするほど、段々悪化する。ルールがないなら、ルールを作ったほうが勝ちなのは、どこでも同じだろう。手当がないなら、手当を作ってしまう、この両親は。その究極の解決法が、なんと聖書、2千年も前にすでに、その解決方法が書かれていたのだ。教会と大学のコラボレーション。坊主と医者が結託しても不思議はない。命を救うためには。
私は、オカルト信者ではない。奇跡・秘跡・魔法・悪魔ETC.どれも信じない。それでも、癲癇は、断食と脂で治せという、キリスト様のご指示には、なにか、真実が隠されているように、思う。解決の道は、シンプルである。e=mc*cという公式のように。
近代医学は、科学の装いで、私たちを、だまし続けてきた。前頭葉摘出手術のことはカッコーの巣の上でについて、書いた。この「誤診」でも、天動説は迫害される。
たまたま、知り合いに、理解してくれる医者がいて、母親の熱意にほだされた、看護師が
いて、この子の命は救われる。近代医学の迫害から、逃れて。古代ローマ帝国の迫害から
逃れたキリスト教徒と何ら、図柄は変わっていないのだ。
天動説を唱える者に幸せあれ。悪意はない。そう信じているから。子供の頃からそう教えられ、そうだと思っているから。そうでないことを言う人は、ほんの少し、200年前には、悪魔だった。火刑に処せられた。転べば(信仰を変えれば)助けてもらえた。
常識、信念、信仰。一体なんだろう。
地動説で世の中を眺めれば、おかしな話は山ほどあって、テレビだ、マスコミだ、新聞だ、ネットだなどと騒ぎ立てるが、その中から、私はこれを、選択するという、自分の立ち位置をしっかり、作っていく必要がある。
この映画「誤診」は、優れた映画である。薬は問題解決にならない。西洋医学は、これか
らどう進むのだろうか。釈尊は、最後の瞬間まで、正念を忘れなかったと聞く。

2019年3月25日月曜日

カッコーの巣の上で メデカルドラマ第1弾

地球は動いていると言ったばかりに、牢屋に入れられた、ガリレオ・ガリレイ。地動説の先駆。周りより、先に進むと、出る杭は打たれるとか。洋の東西は問わないらしい。
医学の上でも、同じようなことは、沢山有るらしく、参考になる。自分の命は自分で守ろうということだろう。
標題の映画は、頭の手術の話である。この術式を発明した人は、ノーベル賞をもらった。
先の大戦のすぐ後頃、アメリカで、脳の手術が流行った。前頭葉という場所を取ってしまうという、手術でした。とても効果的ということで、この手術を考えた人は、ノーベル賞
をもらった。
これまでのノーベル賞で、最悪の医学賞といことになっています。手術された人は、人間ではなくなってしまうのだ。
その辺の経緯を、この映画はうまく説明してくれる。そうでなければ、日本でも行われていた、優生保護法に基づく、障害者の不妊手術と同じような、人権を無視した、医術が
正義の名の元に、堂々と行われていたという事実を、教えてくれる手立てが、一般の庶民では、手に入らない。
誰かが気がついて、ほんとかよ、それってちがうよなと、声を大きくして言ってくれて、はじめて、へーそうだったの、と知ることができる。ハンセンシ病もそうだった。
隔離政策が、正義だと考えた、その考えの大本は、一般庶民の、「常識」だ。
ガリレオが、地球が動いていると言ったとき、いや動くのは、天だという教会の信仰を
正義と考えた、庶民の常識が、後押ししたのだろう。
常識とはなんだろうか。なんとなくそうだ。そういうもんだろう。そうに違いない。そういう、常識・信念はどう形つくられるのだろうか。
確かに、この映画の主人公のような人物が、隣にいたら、随分迷惑かも知れない。破天荒なのだ。多動症かも知れない。様々な経緯から、主人公は、ロボットにされてしまったた。
フランス製のよい薬が出て、高価で危険を伴う手術の必要は、なくなったそうである。それでも、その薬がどの程度危険かは、何年もの人体への副作用を、検証してみなければ、わからない。
地球は動いていると、言い続けなければ、天が動いているのだと、全ての大衆伝達手段が
主張初めたとき、私達の、地球は動いているというつぶやきを無くしてはこまるのである。

2019年3月24日日曜日

バベットの晩餐会

映画の話である。1987年デンマーク MGM。デンマークの映画で、監督さんと思われる方のお名前が、アルファベットにない、発音記号のような字で、キャストもスタッフも
分からない。分からないが、素晴らしい映画であることは、間違いない。
食についての(テーマが食かどうか分からないが)映画では、私の中では、ベスト3に入る。ベスト1はこれ、バベットの晩餐会。ベスト2は、台湾映画「恋人たちの食卓」。さて、ベスト3は思い浮かばないので、未定ということにしておく。
時は、フランス革命の頃、天才料理人ともてはやされた、バベットは、夫も子供も殺され
映画の舞台の、海辺の寒村に逃れてくる。
その寒村には、マーチーネとフィリパという姉妹がいた。父親がメラン匕トンに因む(なんだかよくわからないが、ルターの宗教改革に関連する人名らしい)ある宗派の創立者で
村人から尊敬されていた。というところから始まり、狭い共同体の中での老人たちのせめぎあいや、この姉妹をめぐる恋愛事件やらが伏線になって、バベットの晩餐会が催される
経緯が説明される。
劇場映画のノーカット版では、船でバベットが大量の食材を運んでくるが、ウミガメを船
につないで、そのウミガメが、泳いでついて来たシーンが忘れられない。テレビ版ではどういうわけか、カットされている。動物保護か、絶滅危惧種への配慮か、知らない。
美味なるものを食するということは、悪魔の仕業であり、それに溺れることは、地獄への
近道と信じてきた、頑固な老人たちも、バベットの料理と美酒には、まんまとはまってしまう。フランス革命当時、カフェアングレという、料理店があり、そこで料理長だったバベットはいう。「カフェアングレでは、12人前の料理は1万フランでした。」せっかく
当たった宝くじを全部叩いて、当夜の客12人をもてなしたのだ。
客のなかには、出世して、デンマークの将軍になった、かつて、無頼の頃に、姉マーチーネに出会い、ひと目惚れし、結婚は、父親が許さず、心入れ替えて出世したローレンスもいた。彼将軍はいう、「これほどのアモンテリャードは飲んだことがない。」このシーン
を見る度、同名のシェリー酒で手に入りそうなものを発注してしまう。極上のものをいつか飲んで見たいと思いながら。1955年物バルケロソレラは、手が出ない。
妹フィリパが、バベットにいう。「貴方の料理は天国で天使にも気に入ってもらえるでしょう」と。感動できる料理ができるひとは、確かに芸術家であろう。ああ!魂を抉られるような、一品に巡り会える時を今日も夢見て、コロンボのチリビーンズでも作るか。

2019年3月22日金曜日

ラーメン

国民食ラーメン。いや、世界食ラーメンになった。大戦間もなくの、「欲しがりません勝つまで」が、記憶に残る戦中の標語だった時代にも、贅沢は敵だというポスターの「は」と「敵」の間に、素を入れた人物がいるという。贅沢は素敵だ。
こういうのを、ユーモアという。日本人全部が、戦中は、オーム真理教のようだったとか言った、東京大学の有名な先生がいたそうだが、なんとなく、納得できる感じだ。
そういう世間風潮の中で、贅沢は素敵だ言える人は、素晴らしい。これは、贅沢した者だろうこう言えるのは。贅沢の味を知らない者はこうは言えない。
国民放送の、毎朝の寸劇は、インスタントラーメンを発明して、資産家になった人物の一代記をやっている。世界中の、貧乏人でも、飢えなくてすむような、優れた発明であり、
還暦過ぎて、さすがにあまりこの手のものを、食することが少なくなったが、やはり、かなりの部分、お手軽な、廉価なもので、空腹を満たした思い出は残る。舌に、味が残っている。不味くはない、美味でもないという、まあ世の中の食いもんは、かなりの部分このランクに入るのだろうが、とにかく、手っとり速さが、売り物になった。
学生の頃は、仕送りは、2週間持てばいいほうで、昼・夜買いためておいた、チキンラーメンを手鍋で作り、卵と長ネギくらいは載せて、洗うのが面倒だから、手鍋で食う。飯は
釜と米と水があればできる。コスパは最高で、とにかく、腹は膨れた。学校帰りに、通り道の肉屋の親父が揚げてくれた、魚肉ソーセージを縦に2つ割した空揚げに、ウースターソースがあれば、大宴会だ。
まあ、日本人全部ラーメン評論家の資格をお持ちのようだから、あれこれ申しあげるつもりはないし、一体全体、日本中に、ラーメン屋は何軒あるのだろうか。あとで暇つぶしに
ネットで調べてみるか。
懐かしいラーメンは、新宿の柏木に、法務局があった頃、学校でて間もなく、少し働かせてもらった、法務局近くのラーメンが懐かしい。酢を掛けていただく。醤油味で、透明な
油は少し浮かぶ。この手のラーメンで、新宿のあと、後年、新潟市の北越高校のグランド
脇のラーメン屋が同じ味だったから、ラーメンにも流派があるとすれば、何流なのか。
どこかに、この手のラーメン屋があったら、教えて欲しい。
親父は、大学の寄宿舎のカレーの味を懐かしんで、どこにもないカレーを、自ら手作りして、とてもじゃないが、食えたものではなく、家人の顰蹙を買った。この歳になると分からんでもない。どこにも無ければ、作るしか手がない。どうやって作るのか分からない。
それでもやって見ようという人間が、世界に冠たるN食品の基礎を築いたのだろうきっと。

2019年3月14日木曜日

杉花粉症

昔、つまり、私が若かった頃、つまり、60年前に、杉花粉症があったか、なかったか知らない。杉の花粉が飛ぶ頃になると、涙が出たり、くしゃみが出たり、目が充血したりして、ご当人は大変らしい。
奥さんが杉花粉症になる方の、ご主人いわく、スギ花粉症は、大雪と同じで、雪が消えると何事もなかったのと同じように、花粉が消えれば、花粉症も跡形もなく消えてしまうと。うまいことを言うと感心したが、花粉症の」ご当人は、それどころではないだろう。
免疫のシステムが、どこかで狂うと、アレルギーや、アトピー性皮膚炎、免疫不全症候群
になるのだろうが、なんでそうなるのか、医学は解明できているのだろうか。
人間個体の免疫力は、人それぞれであり、強い人もあり、弱い人もあり、完全に壊れてしまっている人もある。
テレビ話題で恐縮だが、イギリスの若い女性が、自分の汗、涙、ブロッコリーを除く食べ物すべてに、アレルギー反応を起こすという症例が紹介されていた。
ブロッコリーしか食べられないというのは、尋常ではない。年齢も若く、体操の選手だとか。見るからに健康そうな彼女の免疫システムを改善するため、大腸の中の細菌群を分析
して、どういう細菌群が通常の人間と比較して、余っているのか、不足しているのか確認する。確認した上で、不足があれば、健康な細菌群を移植するらしい。早い話が、うんこ療法である。
腸内フローラというのは、学者先生によれば、地面の中の細菌群と同じで、彼らが元気なら、丈夫な作物が育ち、そうでなければ、やたら肥料で、大きくするしか方法がないという。多分、有機の肥料で育った植物と、化学肥料で肥太らされた作物では、丸で味が違う
のは、想像できる。食べ比べればすぐ分かることだ。
スギ花粉症はなぜ起こるのか。知らず知らずに、体内に蓄積された、科学物質により、人体が造反しているのだろう。もっと自然を大切にしなさいよ。人体ってすばらしいのよ。

2019年3月12日火曜日

お通夜

通夜に集まる人々は、何を思い、何を考えて、参集するのだろうか。僧侶の読経は、私の場合は、せいぜい30分。なんだか訳の分からない読経を、聞かされる方はたまったものではなく、30が限界かと思う。
せめて、その30分を、死者を弔い、お浄土への旅立ちを、しめやかにお見送りにおいでになったのか思えば、さにあらず。ひたすら、読経が続く間、私語などという、密やかな会話ならまだしも、まるで井戸端会議のような、喧騒が、読経の間続き、なぜか、終わりに近づくと、まっていましたとばかりに、喧騒が収まる。
昨晩は会葬者が120人程度のささやかな通夜ではあったが、90歳の女性をお送りした。あまりの喧騒に、さすがにこの所歳のせいで、読経を途中で中止して、私語を止めるよう注意する元気もなく、読経を終わって、弔電披露、法話と型どうり、進む。
法話の冒頭「土方殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の3日も降ればいい。坊主殺すにゃ刃物はいらぬ、後ろでおしゃべりすればいい。」とやった。何をしにここへきているのか。死者を
弔いにきているのではないか。犬でも猿でも、母親は死んだ我が仔を悲しむ。いくら90歳の老女であっても死者は死者。人間であるならば、しめやかに、お送りしようではないか。法話を用意したが、やる気がなくなった。終わり。
まあ、こんな説教・法話した坊主はいないだろう。腹が立つ。怒るな・転ぶな・風邪ひくなは、先代の、お得意標語だが、まず怒るなに抵触する。怒るなというのは、それが自らの体に、大変よくないことであり、あるいは癌発生の源かも知れず、心身にとって、決して褒められたことではない。
仏様を飾り、お花を供え、僧侶を招いての、法要である。田舎芝居だろうが、公民館の踊りの披露会だろうが、そういう場に生涯一度も遭遇したことがないとは言わせない位の年齢層が、集まって、なぜ読経が始まると、真夏のセミの合掌のような喧騒が始まるのだろうか。読経そのものに罪があるのか。ここに、戦後の日本の荒廃を見てはいけないか。
通夜式での、おしゃべり会は、他に例えると、田舎の温泉の、舞台で田舎芝居が始まり、
客は飲食を続け、出し物が面白ければ、少しは、手と口が止まるだろうが、長続きはしない。ワッと喋り出す。特に女性のお喋りは、暴力に近い。手での暴力ができない代わりに天は、口による暴力を女性に与えた。しゃべらないではいられない。ほとんど病気に近い。まあ、無口な女性などというのは、クリープを入れないコーヒーのようなものかも知れない。
                          2019.3.12

2019年3月5日火曜日

日々是好日

新潟刑務所所属新潟県教誨師会『日々是好日』Ⅱー教誨師がつづった受刑者向けコラム
第99話 日々是好日
日々是好日というと武者小路実篤氏の色紙を思い出す。あちらこちらのご家庭の、玄関先や居間、応接室などに飾られていた。野菜の絵などが、日々是好日の字に添えてあり、氏の独特の字体とともに、一種ほのぼのとした世界を作り出すところが、世に親しまれるゆえんであろう。
この色紙とともに、なぜか私は、若いころに、教科書で読んだ、有名な外国の詩人の言葉を思いだす。
     あげひばり空になき 神天にしろしめす すべてこの世はこともなし
そのような詩であったか、字句の記憶は怪しい。うん。生きているのも、悪くないぜ。そんな感想を懐いたことも、思い出になつかしい。
ところが世の中、それほど甘くないというか、厳しいというのか、実際は、日々是阿修羅のように、なかなかに、恐れ多い。
これを書いている、平成22年二月六日、新潟県は今年一番の寒波に見舞われて、寺の消雪パイプが故障した。腿までの雪をこざきながら、手動で、ポンプを作動させる。自然は厳しい。
世間も厳しい。相撲はもはや国技とは言えず、国際技となった。横綱といえば人もうらやむ大出世だろうに、名古屋場所中に大阪の新地を徘徊するほどの遊び人は、横綱の地位など、なにほどのものではないらしい。日本の国籍を取れば、親方にもなれようものを、それとて未練なく、ポンと捨ててしまった。
横綱引退の号外が出た日の夜、テレビではモンゴルの首都のマンホールから地下で暮らす子どもたちを取材した映像を流していた。
「マンホールチルドレン」というらしい。かつて「チャウセスクの子供たち」という言葉もあった。政治の貧困は、弱者を直撃する。
さりとて、なにかというと、自分のことはさておき、お前が悪い、世の中が悪い、世間が間違っている、環境がいけない、国家が冷たい、地球がせまい、宇宙がーーーー。
運や才能や時代のせいもあるだろうが、人として最低限の努力は続けなければ、進歩がない。
非才浅学を顧みず、宗務庁から特定布教師の辞令を戴いてからもうすぐ一年になる。小職なりに、教誨師の仕事をつとめさせていただいている。
ぺぺ(女性二人歌手)の心に染みるデュエット
  「♪♪せいいっぱいを 精一杯を 教えてくれて ありがとう♪♪」
は聞くたびに涙がでる。そうだよね。せいいっぱいみんな生きているんだよね。
  「♪♪元気だせよ 涙をふいて 元気出せよ 笑ってごらん 元気だせよ♪♪」
私の下手な講釈よりも、一期一会で一時間の時間空間を一緒に過ごして下さる仮釈放まえのみなさんの心にとどかないかなあと考えて、ぺぺさんには無断で(著作権はどうなるのだろうか)曲を使わせていただいている。
ホームページからぺぺさんへ、CD勝手に使わせていただくことの、ご了解をいただかなくてはならない。メールを打とう。きっと、そういうことならいいですよと言って下さるにちがいない。
なかなか、娑婆からはうかがうことのできない塀の中の生活を、書物という想像のなかでしか追体験できないものにとっては、月一回の、桂才賀師匠のお言葉をお借りすれば、「通い懲役」は貴重な体験である。到着した私を案内してくださり、お昼をいただき、部屋へ案内してくださり、規律礼の号令をかけ、一時間私の教誨のために、準備していただく刑務官の先生がたへの、感謝の言葉は尽くせない。

               日々是好日Ⅱ 平成24年6月20日 発行
                  発行人 新潟県教誨師会

















Intel Inside Acer Chromebook 11 White

快適である。
新しいクロームブックが届いた。
これほど簡単にパソコンを楽しむことができるのに、なぜ人々は、苦労したがるのだろうか。
スイッチ入れて、3分もすれば、日常使い慣れた、環境が立ち上がる。
iMacも使っているが、マックソフトは丸でご用がなく、すべて、クロームからたち上がる
アプリしか使わない。
いずれ、こうなるだろうと思っていたが、やはりこうなった。
googleの世界で遊んでいる。
世界政府というものがあれば、そこで作らなければならない、ソフトと作り続けているらしいが、やってくれ。
ここのところ、スマホがえらく高いようだが、もう少し、値段がこなれてくるま     で、待つ。
貧乏人にも、幸いあれ。
googleの肝っ玉のでかいところをみせて欲しい。
結局googleというおっぱいを貰わなければ、生きていけないのだろうから。
                                                                                                                          mar./05    2019

                         

2019年3月4日月曜日

お寺の鐘の試し撞き ゴーン


病気になった組織は段々腐る。腐り始めた組織を、生き返らすことは、なかなかに難しい。川の水を反対に流すようなもので、あの角さんでさえ、できなかった。田中大蔵大臣
当時、山一証券がおかしくなり、無担保・無利子・無期限などという、ウルトラCでも結局
山一は潰れた。嘘つきは泥棒の始まりというが、巨大損失を、東大出の秀才が、帳簿をごまかす方法を考えて、少しは延命したものの、結局、がんに抗がん剤とおなじように、死んだ。これを昔の流行語で「飛ばし」と言った。東芝の粉飾決算も同じこと。嘘。
日産
東芝
NEC
日立
シャープ
ソニー
三菱電機
NTT
東京電力
我が世を謳歌していた方々ではないか。なにかおかしい。なぜだかわからない。
グーグル
アップル
アマゾン
フェイスブック
マイクロソフト
etc.
元気がいい。なぜだろう、何がちがうのだろう。
インターネットなんて、流行るわけがないよと言っていた方々。経団連の会頭でさえ、メールで、連絡を取り合うと聞く。やっとか、それでもか。
蒸気機関ができても、馬のほうがいいという人がいてもかまわない、そのほうが、バランスがとれる。右向け右で、一人や二人、いやおれは上を向くと言った連中がうまい飯を食う。ジョブズ、ベゾス、インテルの親分に至っては、偏執狂しか残れないと言っているとか、いわぬとか。それにしても、お寺の鐘の試し撞き、ゴーン・・・・・
保釈金10億円
何事も過ぎたるは尚及ばざるがごとし、とか。
日産がだめになったのは、組合の責任だろう。国鉄も郵政も電電公社も、組合が潰した。
働かないで、給料が増え続けるならこんなにいいことはない。親方日の丸で、我が世の春を謳歌していた連中は、民営化の大波のなかで、多少抵抗は試みたものの、人生観世界観を消耗しながら、引かれ者の小唄を歌わざるを得なくなった。
郵政民営化は、現代政治の欣快事だ。民意のあるところを問うのが選挙であるなら、民意はあった。郵政民営化。
小池東京都知事選挙で、自民党敗退の都連幹部の責任は大きい。既得権の古顔が、物を言う度、10万票単位で、自民党票は減った。
韓国では、時代を読み、風の流れ、勝利者はだれかを、見分ける力が大切にされると聞いた。今、私達は、どう時代を読み、どう行動すればいいのだろうか。 8/27

冬の蜘蛛 私の母

   冬の蜘蛛 手足は動く 杖の先
蜘蛛の寿命は一年か。越冬できるのか。家の主(あるじ)のお情けで、取り忘れたような
巣に蜘蛛一匹。杖の先でそっとつつくと、手足はなんとか動くようだ。気温摂氏5度。
春まで命永らえると望んだ母。平成15年2月。
        病院の桜若葉が雪になり
             義母(はは)を送りし如月の朝
と、家内が詠んでくれた母は、享年80歳。
温もりの塊のような人だった。周りの人は皆幸せになれた。残念ながら、母の血よりも父親の性格が濃い私は、母ほど人を幸せにできない。幼い日、外で雪玉を作って手がかじかむと、炬燵の母に、後ろから、冷たい手を母の胸元に入れた、暖かかった。S字結腸がん第五ステージは、冬の蜘蛛だった。

インド インド インド(3)

確かにこの内容で、日本では恐らく入手できない代物だ。これを日本語に翻訳した先人に脱帽する。
旅は軽装に限る。赤い小さな物入れ一つで、なんとか旅を乗り切った。そのためには、成田のホテルに前泊し、温度差に耐えることができるであろうものだけ身につけて、スーツケースはホテルへ預ける。預かりませんというから、帰ってきたら、日中のルーム使用をするからというとOKです。荷物を預ける。本当に必要な最小限のものだけにして、カミソリも入れていない。中々に苦労する。沢山もつのは簡単だが、ぎりぎり削り落とそうとすると、難しくなるのは、文章つくりと同じようなものだ。人生の最後に、お棺の中へ何を
持っていくというのだろうか。一度入って見なさい。狭いから。その練習だと思えば楽しい。
おかげで、道中は楽だった。着ていたものも、途中で飽きたら、ホテルの売店で適当に間に合わせて、不要品はバスの中でドネーション袋に入れてくる。わがまま、贅沢といえば贅沢だろうが、命永らえて、戻ることができたのだから、多少のことには目を瞑ろう。
歳のせいだろう。帰って来たら足が張る、つる。疲労回復にマッサージ。体重は思ったより減っていない。時差のせいか、旅先の二日目くらいから、食がなくなる。スイーツだけは入る、ささやかに。カレーを食せなかったのは残念至極。あと2日もすれば、元に戻るだろう。
インドから帰ってすぐ、ベンガルの虎が絶滅したテレビ番組をやっていた。インドでは虎
は特別の存在だったのだろう。虎の骨が薬になる。密漁で絶滅した。他地域から雌雄番で
運んで来て、折角仲良くなったオスが、公園内の居住者に毒殺された。人間ろ虎との生死を賭けた戦い。ますますパイの人生の意味が重くなる。これを縁というのだろう。
自宅の本棚に、読みもしないのに買い込んでおいた、タゴールのギタンジャリが目についた。パイの英文も読まなくては。新しい英和辞書でも買い込んで、少し英語にでも挑戦しようか。あの仔犬のためにも。
                                                             2025/1/24

インド インド インド(2)

カジュラホでも収穫があった。インドの古い宗教があって初めて釈尊の出世が可能だったことがよく分かった。この辺のお互いが影響し合う様子はほとんどシームレスだ。ヴァカヴァッドギータや、ジャイ二ズムが阿弥陀信仰に直結する。釈尊の立ち位置も、ユダヤ教とキリスト教の間でのキリストの出現と同じだ。一神教は厳格な律で、特にイスラム教は原初的な暴力性と相まって、元の姿をなんとか止めようと努力しているように見える。
南伝佛教ではスリランカへ釈尊の行脚があったことになっており、微笑ましいが、浄土教
における、釈尊出世の本懐としての阿弥陀信仰と同じ事だ。
それでも南伝佛教では今もって、佛教に携わる人々が、パーリー語を読み書きできることの意味は大きい。比較して、チベットから中国へ、さらに韓国へ伝播した、我が大乗仏教
のなんと大らかなことか。ほとんど原始佛教の面影を留めない。
輪廻転生から解脱したい欲求の大きさが、岩を削り、塔を積ませたのか。生老病死を苦とし、永遠の命を求めて、国家プロジェクトとしての佛教政策を推進したのか。古代の王様
たちの心は測り難い。
子犬が死んでいた。カジュラホでは、ホテルの湯が出ない。11月のインドで、湯を期待するほうが無理である。夏の暑さの中で丁度よいボイラーが、気温が下がる季節に、日本人が期待する湯温まで温める能力はそもそも持ち合わせていない。手と足と顔と尻が洗える水で我慢するとしよう。
        明きらめる 風呂見つけたり カジュラホで
朝は涼しい。エントランスサークルの周囲の木に、ゴレイシャ鳥の声が、喧しい。朝のミーテングか。姿は見えない。数百羽はいそうだ。道に出て、右へ行く。いつも右へ行く。
子犬が道の真ん中で死んでいた。交通事故だろう。側道へ移す。自然に涙が出る。動物同士が食うか食われるかの戦いの中で死んで行くのは止むを得ない。自動車に轢かれて死んだのでは、それこそ犬死だ。枯れ葉をかけて弔う。少し離れた道半ばで、母親らしい犬が、私の子供に触らないでと、悲しく私を微かに威嚇する。この仔が死んだのは、お前さんの責任なのに。仔犬が甘えて乳を欲しがらないことが、不思議なのだろうか。
ホテルの本屋に『神の詩』「ヴァカヴァッド・ギータの真意」という副題のついた、日本語の本を売っていた。フロントの女の子がそれはフリーですというから、只で貰えると思ったら、ホテルから出発しようとするバスに乗ろうとする私の袖を引いて、本屋の親父がそれは俺の本だという。棚に返したら、安い安いというから、聞いたら600ルピー。
                    インド インド インド(2)続く

インド インド インド(1)

何事も三度唱えると叶うという。インド インド インド。何回でも行きたい。インド行きは、覚悟が必要だ。ツアー旅行でも、かなりリスクがある。リスクといえば、どこへ行こうとある程度のリスクはつきものだろうが、インドにはインド固有のリスクがある。そういう中で二度目のインド。
二度目のインドへの旅。旅行業者からの案内に反応して、元気な内にもう一度行ってみたいと思った。あの喧騒と混沌が懐かしい。どんな旅がま待つのだろうか。
往きの飛航は楽しかった、二つの意味で。ひとつは座った席の周りが空いていた。ふたつは途中から、前の列に座っていたインドの妙齢のご婦人が一つ間をおいた左隣の席に座り
直して、あなたはお坊さんですか?と尋ねてきた。私が前回仏跡の旅の途中で、インド更紗で一晩で仕立ててくれた、おみやげ物のクルタを着ていたせいなのか。どうして私がお坊さんと思ったのか聞くと、身なりだという。日本人ならこの格好を見てまず坊主だとは思うまい。
彼女は瞑想が好きで、あるマスターに就いて、瞑想を習っていたという。そのマスターも
故人らしい。小さなグループで学習しているとか。ソニーでシステムエンジニアーあるいはプログラマーをしているらしい。。ニューヨークと東京が仕事場のようだ。私が言葉に
詰まり、詫びると、この女性は、私は日本語ができませんという日本語しかできないと笑っていた。
私が昔、COBOLプログラムに触っていた頃を思い出した。プログラム言語を考えて、結果がでるまでの試行錯誤の中で、頭の中の状態は、祈りの時に似ているのかも知れない。彼女の頭脳がコンピューターソフトと、祈りの世界がどう共生しているか覗いてみたいような気がする。
もう一つの収穫は、席の前にある画面で、映画を観た。「パイの人生」とでも訳すのか。”Life of Pi"お子様ジャンルに入っていた。虎と少年の愛の物語。涙が出た。動物と人
の交流の物語は素直に感動できる。本は帰りに買った。デリーの飛行場にあった。DVDは帰ってきてアマゾンで買った。日本語の字幕がないと、言葉のやりとりのシーンは理解できない。これが家人への一番のおみやげかも知れない。
前回の佛跡の旅は釈尊のおわしました大地に立つ感動があった。誤解を恐れずに言えば、遺跡なんぞはどうでもよい。どれだけ「法」を思い続けることができるかが問題なのだ。今回は佛教遺跡が少なくてかえってよかった。
                      インド インド インド(1)続く

2019年3月3日日曜日

一流患者と三流患者

上野直人というドクターがおいでだ。NHKに出演していらっしゃった。アメリカのがんの治療では有名な病院に勤めながら、日本でも、公演されたりして、ご多忙のようである。
番組の中で「一流患者と三流患者」というテロップが、流れた。上野先生の御著書である。患者も一流から何流もあるのかと、つい反応してしまい、すぐアマポチする。
アマポチは私の造語で、アマゾンへ注文するため、すぐその場で、スマホから購入契約の
申し込みをすることである。購入契約の申し込みをするなどというと、えらく難しいが、
自分でも、何をしたのかわからない位簡単に、商品売買契約が締結される。お客の利便性
をとことん追求したからこそ、世界中が、アマポチで溢れている。ジェフ・ベゾスさんえらい。
さて、一流患者にはなれなくても、二流患者位は目指したい。まず、自分の病歴を記録しておく。
平成15年 もう少しで、肺気腫になるところで、危うくセーフ。禁煙。ただし、動き回ると息切れすることがある。
平成21年 膀胱がん 内視鏡でぽつん。
平成28年 膀胱がん 内視鏡でぽつん。
平成29年 4回内視鏡検査。
自覚症状 不定期に鳩尾の中に痛み。こめかみに痛み。胸の痛み。胃薬でおさまる。
コレステロール いろいろ勉強したが、この数字は気にしないことにした。
中性脂肪 これも気にしない。
血圧 年を取れば、ある程度血圧が高いほうが自然だろう。人は数字で生きているのではない。ガイダンス作りたいやつが作ればよい。要は覚悟の問題である。
食事 低糖質のものを食するように心がけている。
体重 56kg台ならよしとする。
体調 数字ではなく、自分がどう感じるかだ。旨味でも、最後は感性の問題である。
ロカボをよく噛み丈夫な体 腹八分目医者知らず ロカボ過ぎたるはなお及ばざるがごとし 健康長寿の三大標語。
怒るな 転ぶな 風邪引くな は健康長寿の脇三則。まあこれさえ守ることができれば、
あとは喜んで、往生できるように、日々の支度をおさおさ怠りなく実行。これは夢ではないから、実行しなければ、意味がない。これも夢と同じでほとんど費用はかからない。

源光院

久しぶりの京都である。泊まった宿の佇まいも懐かしい気がするし、天気も良くて、少しブラぶらした浄土宗宗務庁近辺も、変わっていない。というか、遥か50年近く前、浄土宗開宗800年のお手伝いをほんの少しさせていただいた頃から見れば、変わった。
その頃は宗務庁は知恩院の中にあって現在の宗務庁の建物はなく、黒門からの通りは、こんなに近代的ではなかった。西洋建築に間に何軒か残る、きれいにメンテナンスされた、寺院風の建物はなんだろう。看板がないのでわからない。うだつの上の、空気抜きの小さな屋根の上の屋根(建築でなんというのだろうか)の写真を撮る。
自坊の、本堂の、せめて夏の空気を上から抜いたら少しは涼しくならないかと、以前から悩んでいたから、この写真は参考になるだろう、お金がないことを除けば。夢を見るのに
費用はいらない。
建物の外観は、ほとんど昔どおりだが、中身はすっかりきれいになった源光院。開八のころは、知恩院・宗務庁の役職者の宿舎だった。黒塗りの高級車が止まっている。御法主猊下のお車か、宗務総長のお車か。
会議の中身は、地方調停委員長連絡会であり、お世辞ではなく、担当者の熱意が感じられる、優れた研修会であった。資料は別送して手元になく、細かい話はできないが、午後からの京都簡易裁判所の判事さんのお話もためになった。
国の調停制度と宗の調停制度の相違点という氏のご指摘は、さすがに鋭い。そもそも、多かれ少なかれ、利害関係人同士の中での、調停という公平性が最も要求される仕組みの中で、どの位、中立性・公平性が保たれるか、確かに最も留意しなければならない点だろう。同じ宗派のなかで、まるで利害関係がないかどうか、難しい問題である。
実例の資料にのっている話を、聞けばアホか思われるような紛議もご当人にして見れば、
真剣な問題なのだろう。外から観れば、まるで漫画のようだと気が付けば、問題はそれで解決するのだろうが。意地の張り合いを調停はできないし、そんなことに宗費を使うなといいたい。
判事さんのお話で、記憶に残ったのは、恋しい人に会いたいから、調停して欲しいと、国
の調停を何度も申し立てする人がいるとのこと。調停は出廷義務があるので、なんとかその場へ引張り出したいのが真意らしい。この話を聞いて、頭に浮かんだのは、病院へ通院
するのに救急車をタクシー代わりに使う輩がいるという噂を昔聞いた。
     恥を知らない人間は、諸々の禽獣と相異なることなけん。   遺教経

2019年2月28日木曜日

久しぶりの京都

2月の京都は、桜前。それでも賑やかだ。最近は外人さんが多い。国策で観光立国とやらで結構なことではある。少し高いが宿は、オークラ。落ち着く。佇まいが美しい。気持ち
が、私のような貧乏人は特に、たまにこういうホテルに泊めていただくと、少しはリッチな気分いなることができるのがうれしい。365日貧乏が目の前にぶら下がっていると人間貧相になる。たまにはいいじゃないか。
いいじゃないかというのは、孤独のグルメの主人公井の頭五郎の独り言で、食い物がいいとき、いいじゃないかという。家内工業のような食堂で、気がきいていそうな店に入り、
お腹とメニューと相談しながら、ひたすら食う。空腹で食べるものはなんでもうまい。腹
も減らないのに、時間じかんで飯を食うなどというのは、食事への冒涜に等しい。
で、京都で、孤独のグルメと行きたいが、探すのも面倒で、地下の居酒屋で我慢するというか、かなり良さそうで、えいや、入る。
井の頭五郎さんも、下戸で、私も下戸で、そこが気に入っているのだが、私は少しは、ほんの少しは、お燗した日本酒が欲しい。串揚げセット8本。白魚の塩辛。あと一品。おとうしもあっと言う間。敦賀の方からくる魚で、ブリの子供だったかな、刺し身を少し。酒
は、名前をメモしてこなかった。大したものではない。
ホテルへ戻って、1階の喫茶で、ケーキとコーヒーのセットでデザート。いや、ぜいたくですな。ケーキのあまり旨さに、もう一つ追加しなかったのは、理性が勝った。甘いもの
に飢えている。
朝から米粒を一つも食べていない。昼食は燕三条の新幹線の駅で立ち食いそば。これは定番で、天ぷら卵に決めてある。店のお姉さんに、三条の、美味いものの一つだから、下の
喫茶食堂は閉めたようだが、ここは頑張ってとエールを送る。新幹線駅の喫茶食堂でも、
駐車場は有るのだし(有料ではあるが)、お昼に行列のできるほど美味いものを出せば、こういう時代だから、客は入りそうな気がする。早く安く美味いものをだす。早く安く美味くなければ、ここは入らない。
翌日は会議で、昼弁当は沙汰の限り。飯残す。夕食は東海道新幹線の中で。5時から一人パーテー。京都駅で買った、枝豆、紅生姜の天ぷら、ペットお茶+ロカボナッツ。以上。
千円でお釣りが来る。お腹一杯。体重増えず。炭水化物が人類を滅ぼすのです。腹八分目医者知らず。なんでもよく噛み丈夫な体。そして、何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。健康長寿三ケ条を守った京都行でした。帰って測った体重56.7kg。コロナでした。

2019年2月23日土曜日

認知症

誰でも認知症など御免蒙りたい。脳の細胞がおかしくなるらしい。赤ちゃんの頭は、一年で倍になるらしいが、膨大なエネルギーを、おっぱいからもらい、成長する。赤ちゃんの
頭の中は、ケトン体とかいうエネルギーが一杯あって、大人の体のエネルギーは、ブドウ糖中心で、日々の活動を支えているとか。伝聞ばかりで申しわけないが、医者でもない身
古希過ぎてのにわか勉強だから、受け売り仕事にならざるを得ない。
元気で死にたいとと、常づね言っており、できれば自分で歩いてお棺に入り、お念仏する中で、往生したいというのが夢である。そんなにうまくは行かないよというのが、大方の
お声ではある。自分でもそう思う。そんなにうまくは行かないよ。
お念仏する中で、もちろんお檀家の面々に囲まれて、ふと、声がとぎれる。傍でひかえた
ドクターが、脈を取る。「ご臨終です」一斉に、お檀家のお念仏が始まる。ご来迎である。心からそうありたいと念じている。
読売新聞(しかない)の医療ルネッサンスの記事。2019.2(No.6983)。長谷川和夫さんは、認知症の第一人者だったかただそうで、その方ご本人が認知症になられた。本
を出版された。「だいじょうぶだよーぼくのおばあちゃんー」
新聞を引用します
認知症で家族のことがわからなくなったおばあちゃんが、家族5人そろった食事の席で「
みなさんはどなたですか?」と困った顔で言う。孫の少年が笑顔で答えた。「みーんなおばあちゃんことを よーくしっているから だいじょうぶだよ。しんぱいないよ、おばあちゃん!」
100歳まで望まなくても、生かされる時代になった。死ねない時代になった。体は100年もっても、頭の方はそうは行かない。結果として、人間では死ねず、認知症の諸症状で家族に迷惑をかけ、挙げ句、嫁と姑の殺人事件などを聞く。元々仲が悪ければ、最後は
地獄へ行きつく。地獄へ行かないためには、人間でいるうちに往生したい。切なる願いである。
ではどうするか。大往生したければ、医者には近づかず、癌とわかれば、なにもせず、薬は飲まず、可能な限り体重を減らし、なんでも良く噛み丈夫な体、腹八分目医者知らず、
何事も過ぎたるはなお及ばざるが如しの三訓を遵守しながら、規則正しい、感謝に満ちた
余生を送るしか方法はない。
天皇陛下と阿弥陀様に感謝しながら、なんとかあと残された命をお念仏で昇華しよう。

2019年2月21日木曜日

結構気分がいい

結構気分がいい。コーヒーも進む。今朝から何杯だろう。よし!ガッツ!となると一杯のコーヒーが欲しくなる。少し、カフェイン依存かもしれない。まあいいや。
気分がいいその一
知り合いの車に載せてもらった。独逸製の多目的なんとかというヤツで、大きい。助手席
に乗ったら、ボンネットの上に、スピードメーター+時計のきれいな、透明のアクリル板
に、数字が反射して、白いスピードメーター、緑の時計、赤いアイコンで、とても美しい。ひと目ぼれした。
動画サイトで、まず検索し、大方検討つけて、通販サイトへという手順を踏んだとか。なるほど、それはいい。UとAだな。キーワードは何だろう。言葉さえわかれば、目的物へは
一直線で行ける。
見つけた。HUD。ヘッドアップデスプレイというらしい。現物を見ているのだから、探すのは簡単。GPSでスピードメーター動かすらしいから、少し高いが、GPS仕様だな。それにしても独逸製の多目的に乗るやつは、2〜3千円程度と言っていたが、桁が違う。大雑把なものだ、数字には。2〜3千円と12Kは、違うぜよ。
待つこと何時間?発注の翌日午後には商品到着。セット。細かしいことはともかく、車が
動いて、スピードメーターが動けば、80%OK。翌日時刻は電波時計で、何もしなくても
ジャストミート。めでたしめでたし。倅の誕生日のプレゼントこれにしよう。値段も手頃
お買い得ですよ。
も一つご機嫌のわけ。グーグルでドメインを買った。1年 ¥1,400¥ですよ。しかも漢字
のドメイン。南無阿弥陀仏.com 漢字とローマ字混じりのドメインです。いいじゃないか。
メールアドレスは一つ600円。うーん。プロヴァイダーは食っていけなくなるだろう。
ドメイン作って、中身を入れて、とにかく情報発信の手立てだけは、して置きます。
基本的な、WEB作りのスキルなど持ち合わせようがなく、見よう見まね、猿真似で、なんとか、英語の訳のわからないサイトで、悪戦苦闘の末、とにかくドメインとメールアドレスをゲットした。
リダイレクトだの、すでに確保してある jodosyu.jpというドメインとの整合性をとるためには、また南無阿弥陀佛 .comの中身を作るのは、プロの手を借りなければ、ミバのいいサイトは難しい。難しいが、なにも芸術作品でなくていい。サイトをどれだけ安価に維持管理できるか、伝えたい情報をミニマムに絞って、発信し続けよう。根気よく牛のように。

進むしかないよねえ

あ!これほしい、と思うものも少なくなった。懐具合と相談しながら、かみさんの顔色伺いながら、デジタルおもちゃ、もう止めた、といいながら、なんとかの法則で、この手の
おもちゃの価格が、一年で三割位値下がりするのは目に見えているから、もう少し価格が
こなれてから買おう、と、つい貧乏暮らしの長さがくせに出る。
いつから、こんなに、値段のことが気になるようになったかと思い返すと、やっぱり親元
離れて独立採算でやらざるを得ず、あしたの昼飯代を気にしながら、あるいは、空腹を我慢して、昼飯代をためて、あこがれの、神田のニコライ堂近くの、地下の洋食屋で、グラタン定食は、学食の昼飯の4日分だったが、近所のサラリーマンに混じって、パンとグラタンとコーヒーで、小さな満足をゲットしていた頃かろから数えれば半世紀はくだらない
貧乏暮らしだ。
新潟に勤めていたころは、品物の、とにかく安いものをさがして、古物商や、質流れ、廃屋のゴミ、閉店事務所などから、使えそうなものを漁るのが仕事の一部だった。今なら、
パソコンに座って、キーボード叩けば、それこそ欲しいものはなんでも、手に入る。価格
だって、ピンからきりまで、お好み次第。いい時代になったものである。
そのタイトながまぐちを開かせる、商品開発者の努力たるや、多分涙ぐましい努力をお続けなのだろうし、いくら自分でこれは素晴らしい商品になるぞと、インスピレーションを
感じたとしても、うまく時流に乗らなければ、消費者のニーズに合わなければ、あえなく
ダウンせざるを得ない。
 ぼろぼろになったIBMを立て直した人が誰かは知らないが、多分汎用コンピューターで一度世界制覇した、至福は、企業として忘れることができず、世界一博士の多かった開発室
が、エンドユーザーのニーズを理解できるはずがない。顧客は問題解決が欲しいのであって、性能の良いコンピューターが欲しいのではないということに気がついた人がいたらしい 。パソコンはレノボに売って、まだIBMは、潰れていない。
グーグルが、新しいノートパソコンを出したらしい。アメリカではアマゾンでそこそこの
価格が人気になっているとのこと。日本での販売は、遅れるだろうが、待つ。レノボとグーグルの共演など面白いではありませんか。
最近ドコモで出した、グーグルのスマホは、えらく強気で、高値設定だけれど、廉価版も
期待できそうでなによりだろう。クロームのブラウザーで出た時、ネットはグーグルに制覇されるだろうという予感は、いまのところ当たりつつ有る。

2019年2月20日水曜日

続けなければ意味ないよねえ

情報発信のむずかしさ

最後の投稿が2015年とわかると、さて今までなにをしていたのだろかと考えてしまう。情報は発信し続けなければ、他から情報はいただけないとわかっていても、さりとて
SNSで、いいね!いいね!というのも、なにか、大人げない。
 発信すべき情報がなければ、当然ブログを書くこともできないだろうが、まあ、大上段
に振りかぶらず、男もすなるにきというものをおなごもしてみんとてするなり、位の軽い
ノリで、やってみようではありませんか。
 今日は、新聞ネタです。読売新聞平成31年2月20日新潟版。医療ルネッサンスという連続シリーズものをやっています。ときどき、どきどきするような記事が出ます。20
日の記事は、認知症のお婆ちゃんが、5人で食事する時に、全員の顔がわからず、そういう趣旨の発言をした時の、お孫さんの、言葉に感動しました。
 「おばあちゃんが、誰も知らない人でも、みんなお婆ちゃんをよく知っているから安心していいよ!」これは泣けます。こういう教育をこれからは、みんなでして行かなくては
なりません。教育するのは、認知症未満の高齢者、教育されるのは、高齢者の子供たち。
孫たちではありません。
 高齢者 「私も、00歳。いつ認知症になるかわからない。私がお前たちの顔が分からなくなって、どちら様ですかと尋ねるようになったら、心配しなくていいよ。私たち(高齢者の子供たち)が、よくお婆ちゃんを知っているから、心配しないでね。やさしく、言い聞かせて、ほしい。そうすれば、認知症対非認知症という先鋭化しそうな、人間関係も
すこしは和らぐであろう。」
 高齢者の子供 「確かに、あなたどなたですかと、我が母親に言われれば、ショックだろうが、病気というものは、そういうものだということを理解するのが、前提で、子供の顔が分からなくなるのなんかは、いいほうで、いろいろな症状があると聞いている。認知症の親に、真の意味で愛情を抱けるかどうかは、人間としての力量を問われているようなもの。親あってこの我ありと、ここは一番ふんばるか!」
 高齢者の子供(親)「子どもたち、いつかお父さんもおばあちゃんのように、なるかもしれない。長生きすれば、どうしてもそうなる。だから、お父さんが、お前たちに、どなた様ですかと言ったら、自分たちがよくお父さん(そのころにはおじいちゃんになって
いてほしいが、つまりお前たちが成長して、結婚して家庭を作って、こどもがいて)を知っているから心配しないでいいよ。と言ってほしいのだ。