お念佛からはじまる幸せ

2019年3月27日水曜日

誤診 メデカル・ドラマ 第2弾

ー悪意なき過ち 決別の勇気ーがサブタイトル。コピーを作る人たちは、上手だね。まさにこの言葉に尽きる。
子供の病気、テーマは癲癇。病気の中身の詳しいことは、映画を見ていただくなくてはならない。ある日突然発作に襲われ、それはほんの、地獄への道の始まりにすぎない。近代
医学の誤謬ということで、本を書いたらどのくらい、具体的事例が集まるだろうか。
私の子供がこの病気になったらどうしよう。この子供の父親・母親のようになれるか。しかも、ここでも、天動説の中で、地動説を唱えなければならない。子供と向き合うのさえ
大変な中で、世間の「悪意なき過ち」と対決しなければならない。
まかり間違えば、牢屋に入れられるかも知れないのは、ガリレオ・ガリレイと同じだ。子供の病気は、手当すればするほど、段々悪化する。ルールがないなら、ルールを作ったほうが勝ちなのは、どこでも同じだろう。手当がないなら、手当を作ってしまう、この両親は。その究極の解決法が、なんと聖書、2千年も前にすでに、その解決方法が書かれていたのだ。教会と大学のコラボレーション。坊主と医者が結託しても不思議はない。命を救うためには。
私は、オカルト信者ではない。奇跡・秘跡・魔法・悪魔ETC.どれも信じない。それでも、癲癇は、断食と脂で治せという、キリスト様のご指示には、なにか、真実が隠されているように、思う。解決の道は、シンプルである。e=mc*cという公式のように。
近代医学は、科学の装いで、私たちを、だまし続けてきた。前頭葉摘出手術のことはカッコーの巣の上でについて、書いた。この「誤診」でも、天動説は迫害される。
たまたま、知り合いに、理解してくれる医者がいて、母親の熱意にほだされた、看護師が
いて、この子の命は救われる。近代医学の迫害から、逃れて。古代ローマ帝国の迫害から
逃れたキリスト教徒と何ら、図柄は変わっていないのだ。
天動説を唱える者に幸せあれ。悪意はない。そう信じているから。子供の頃からそう教えられ、そうだと思っているから。そうでないことを言う人は、ほんの少し、200年前には、悪魔だった。火刑に処せられた。転べば(信仰を変えれば)助けてもらえた。
常識、信念、信仰。一体なんだろう。
地動説で世の中を眺めれば、おかしな話は山ほどあって、テレビだ、マスコミだ、新聞だ、ネットだなどと騒ぎ立てるが、その中から、私はこれを、選択するという、自分の立ち位置をしっかり、作っていく必要がある。
この映画「誤診」は、優れた映画である。薬は問題解決にならない。西洋医学は、これか
らどう進むのだろうか。釈尊は、最後の瞬間まで、正念を忘れなかったと聞く。

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