お念佛からはじまる幸せ

2015年5月17日日曜日

インドへの道 3

インドへの道(つづき2)
 ホテルの本屋に『神の詩「バガヴァッド・ギータ」の真意』という副題のついた、日本語の本を売っていた。フロントの女の子がそれはフリーですというから、只で貰えると思ったら、バスに乗り込む私に、本屋の親父と思しき人物が、その本は俺の本だという。棚に返そうとしたら、安い安いというから、訊いたら600ルピー。確かにこの内容で、日本では恐らく手に入らないだろう代物である。これを日本語に訳した先人に脱帽する。こういうお土産はうれしい。何者にも代えがたい。買わせていただいた。荷物は増やさない方針も時には例外がある。小物入れの小さなバッグ一つで、8日間旅行するには、それなりの工夫が必要になる。物を持たないで旅行するには、覚悟いる。その覚悟は、死を迎えるときの覚悟と同質のものではないだろうか。
 歳のせいだ。帰ってきて足が張る、つる。疲労回復のマッサージ。体重は考えたよりも減っていない。旅の間殆ど食べていないのに。あと二日もすれば元に戻るだろう。自宅の本棚に、読みもしないで買い込んでおいた、タゴールのギタンジャリが目に入った。タゴールか。次にインドへいくとしたら、コルカタのタゴール記念館を訪ねたい。パイの人生も読まなければ。多分、決心だけで、いつものように、終わってしまうのだろうが、英語の新しい辞書を買い込んで、少し英語にでも挑戦しようか。あの仔犬の供養のためにも。
 インドから帰ってすぐ、ベンガルの虎が絶滅したという、テレビの番組をやっていた。
インドでは虎は色々な意味で特別の存在だったらしい。虎の骨が薬になる。タイガーバームという軟膏もどこかの国にある。ベンガルに虎がいなくなった。インドの他の地域から
雌雄つがいで連れてきて、折角2頭が仲良くなりかけたら、オスが、虎と同居している公園内の居住者に毒殺された。人間と虎との生死を賭けた戦いが続く。益々パイの人生の意味が重くなる。これを縁というのだろう。

 宗教と詩は宇宙を創造する。ヒンドウ的な宇宙の中で、インド8億の人々は幸福だ。

                         24/1/2015
 数日して、OFF HOUSE で虎のぬいぐるみを売っていた。首の念珠をかけて。私が連れて帰らずに、だれが買ってくれようか。今、彼 リチャード・パーカーは、嬉しそうに、オランウータンのぬいぐるみと戯れている。勿論、リチャード・パーカーは、パイの人生
に出てくる、虎の名前である。手の先からしっぽの先まで1メートル85センチ。こういうものを買い込んで来るあなたは、やはり頭がおかしいのだと、かみさんに宣言された。


インドへの道 2

インドへの道(つづき1)
 それでも、南伝仏教では今だに、仏教の携わる人々が、パーリー語を読み書きできることの意味は大きい。比較して、チベットから中国へ、さらに朝鮮半島から日本へ伝播した、我が大乗仏教のなんと大らかことか。ほとんど原始仏教の面影を留めない。
 輪廻転生から解脱したい欲求の大きさが、岩を削り、塔を積ませたのか。生老病死を苦とし、永遠の命を求めて、国家プロジェクトとしての仏教政策を推進したのか。古代の王様の心は計り知れない。
 仔犬が死んでいた。カジュラホでは、ホテルの湯が出ない。11月のインドで、湯を期待するほうが無理である。夏の暑さの中で丁度よいボイラーが、気温の下がる季節に、日本人が期待する温湯まで水温を上げる能力を、ホテルのボイラーは持ちあわせていないだろう。旅の中で、満足な湯がでたのは、真新しいホテル一つだけだった。ここでは手と足と顔と尻が洗える水で我慢するとしよう。
       明きらめる 風呂みつけたり カジュラホで
 仔犬が死んでいた。朝は凉しい。エントリーサークルの周囲の木に、ゴレイシャ鳥の声が喧しい。朝のミーテングか。姿はみえない。数百羽はいるのではないか。何か会話をしている。道に出て、右に行く。いつも右に行く。仔犬が道の真ん中で死んでいた。交通事故だろう。側道へ移す。自然に涙がでる。動物同士が食うか食われるかの戦いの中で死んでいくのは止むを得ない。自然の摂理なのだろうから。自動車に轢かれて死んだのでは、それこそ、犬死にだ。枯れ葉をかけて弔う。少し離れた道の半ばで、母親らしい犬が、私の子供に触らないでと、私を微かに威嚇する。この仔がしんだのは、お前さんの責任なのに。仔犬が甘えて乳を欲しがらないことが、不思議なのだろうか。

2015年5月16日土曜日

インドへの道 1

インドへの道
 二度目のインドへの道。旅行業者からの案内に反応して、元気な内にもう一度インドへ行って見たいと思った。あの喧騒と混沌が懐かしい。どんな旅が待つのだろうか。
 往きの飛行機は楽しかった、二つの意味で。ひとつは座った席の回りが空いていた。ふたつは途中から、前の席に座っていたインドの妙齢のご婦人が、私の席(一番窓側)一つ
間をおいた隣の席に座り直して、あなたはお坊さんですか?と尋ねてきた。私が、前回仏跡の旅の途中で、お土産屋さんが一晩で仕立ててくれた、クルタを着ていたせいなのか。
どうして私がお坊さんだと思ったのかと聞くと、身なりだという。日本人ならこの格好を見てまず坊主だとは思うまい。
 瞑想が好きで、あるマスターに就いて、瞑想を習っているのだという。そのマスターは故人らしい。小さなグループで学習しているとか。仕事を聞くと、ソニーでシステムエンジニアーあるいはプログラマーの仕事をしている。ニューヨークと東京が仕事場のようだ。私が言葉に詰まり、詫びると、この女性は、私は日本語ができませんという日本語しかできないと笑っていた。
 私が昔、COBOLプログラムに触っていた頃を思い出した。プログラム言語を考えて、結果がでるまでの試行錯誤の中での頭の中に状態は、祈りの時に似ているのかも知れない。だからこそ、寝ることもわすれてハッカーたちは、夢中になれるのだろう。コーラを飲みながら、ハンバーガーで空腹を満たしながら。
 もう一つの収穫は、席の前にある画面で、映画を見た。「パイの人生」とでも訳すのか。”Life of Pi”. お子様ジャンルに入っていた。虎と少年の愛の物語。涙が出た。動物と人の交流の物語は素直に感動できる。本は帰りに買った。デリーの飛行場にあった。DVDは帰ってきてからアマゾンで買った。日本語の字幕がないと、言葉のやりとりのシーンは理解できない。これが家人への一番のおみやげかも知れない。
 前回の仏跡の旅は釈尊のおわしました大地に立つ感激があった。間違いなく、そこに今も釈尊はおわしました。今もなお、法をお説きなっておいでである。誤解を恐れずに言えば、遺跡なんぞはどうでもよい。どれだけ「法」を思い続けることができるかが、問題なのだ。今回は、仏教遺跡が少なくてかえってよかった。
 カジュラホで収穫があった。インドの古い宗教があって初めて釈尊の現出が可能だったことがよく分かった。この辺のお互いの影響しあう様子はほとんどシームレスだ。ヴァカヴァッドギータや、ジャイニズムが阿弥陀信仰へ直結する。釈尊の立ち位置も、ユダヤ教とキリスト教の間でのキリストの出現と同じだ。
 一神教は厳格な律で、特にイスラム教は原初的な宗教教義と相俟って、元々の姿をなんとか、今にその姿を努力しているように見える。南伝仏教は、スリランカへ釈尊の行脚があったことになっており、微笑ましいが、浄土教における釈迦出世の本懐としての阿弥陀信仰と同じだ。つづく

2015年4月26日日曜日

ご無沙汰でした、若干の思い               

なかなか、情報の発信は、難しいものです。
齧りかけのりんごから、クロームボックス
へ機械を変えようと、古希に鞭打っていま
すが、手がついて行きません。
googleについて、知れば知るほど、面白く
元気が出ます。
結局世の中、頭のいい人たちには叶わない
と思わざるを得ません。
これからどう世の中が変わって行くのか、
楽しい限りです。
少し見方を変えると、ビジネスの機会は、
ゴロゴロしているのに、それに気がついて
もなかなか、実行するには、様々な技術が
要求されます。
googleの求人広告の暗号が解けなければ、
同社に就職することは、永遠にその機会が
失われてしまうように、スキルがなければ
web社会で、思うように、動き回ることは
できないでしょう。
これからの若い方たちは、デジタル文房具
の使い方を覚えて満足するのではなく、そ
れらの文房具の作りかたも学ぶ必要がありま
す。googleが地球にもたらす、人類史上初め
て経験する、本当の意味でのinnovasionをじ
っくり勉強して行こうではありませんか。
               空阿