お念佛からはじまる幸せ

2019年2月28日木曜日

久しぶりの京都

2月の京都は、桜前。それでも賑やかだ。最近は外人さんが多い。国策で観光立国とやらで結構なことではある。少し高いが宿は、オークラ。落ち着く。佇まいが美しい。気持ち
が、私のような貧乏人は特に、たまにこういうホテルに泊めていただくと、少しはリッチな気分いなることができるのがうれしい。365日貧乏が目の前にぶら下がっていると人間貧相になる。たまにはいいじゃないか。
いいじゃないかというのは、孤独のグルメの主人公井の頭五郎の独り言で、食い物がいいとき、いいじゃないかという。家内工業のような食堂で、気がきいていそうな店に入り、
お腹とメニューと相談しながら、ひたすら食う。空腹で食べるものはなんでもうまい。腹
も減らないのに、時間じかんで飯を食うなどというのは、食事への冒涜に等しい。
で、京都で、孤独のグルメと行きたいが、探すのも面倒で、地下の居酒屋で我慢するというか、かなり良さそうで、えいや、入る。
井の頭五郎さんも、下戸で、私も下戸で、そこが気に入っているのだが、私は少しは、ほんの少しは、お燗した日本酒が欲しい。串揚げセット8本。白魚の塩辛。あと一品。おとうしもあっと言う間。敦賀の方からくる魚で、ブリの子供だったかな、刺し身を少し。酒
は、名前をメモしてこなかった。大したものではない。
ホテルへ戻って、1階の喫茶で、ケーキとコーヒーのセットでデザート。いや、ぜいたくですな。ケーキのあまり旨さに、もう一つ追加しなかったのは、理性が勝った。甘いもの
に飢えている。
朝から米粒を一つも食べていない。昼食は燕三条の新幹線の駅で立ち食いそば。これは定番で、天ぷら卵に決めてある。店のお姉さんに、三条の、美味いものの一つだから、下の
喫茶食堂は閉めたようだが、ここは頑張ってとエールを送る。新幹線駅の喫茶食堂でも、
駐車場は有るのだし(有料ではあるが)、お昼に行列のできるほど美味いものを出せば、こういう時代だから、客は入りそうな気がする。早く安く美味いものをだす。早く安く美味くなければ、ここは入らない。
翌日は会議で、昼弁当は沙汰の限り。飯残す。夕食は東海道新幹線の中で。5時から一人パーテー。京都駅で買った、枝豆、紅生姜の天ぷら、ペットお茶+ロカボナッツ。以上。
千円でお釣りが来る。お腹一杯。体重増えず。炭水化物が人類を滅ぼすのです。腹八分目医者知らず。なんでもよく噛み丈夫な体。そして、何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。健康長寿三ケ条を守った京都行でした。帰って測った体重56.7kg。コロナでした。

2019年2月23日土曜日

認知症

誰でも認知症など御免蒙りたい。脳の細胞がおかしくなるらしい。赤ちゃんの頭は、一年で倍になるらしいが、膨大なエネルギーを、おっぱいからもらい、成長する。赤ちゃんの
頭の中は、ケトン体とかいうエネルギーが一杯あって、大人の体のエネルギーは、ブドウ糖中心で、日々の活動を支えているとか。伝聞ばかりで申しわけないが、医者でもない身
古希過ぎてのにわか勉強だから、受け売り仕事にならざるを得ない。
元気で死にたいとと、常づね言っており、できれば自分で歩いてお棺に入り、お念仏する中で、往生したいというのが夢である。そんなにうまくは行かないよというのが、大方の
お声ではある。自分でもそう思う。そんなにうまくは行かないよ。
お念仏する中で、もちろんお檀家の面々に囲まれて、ふと、声がとぎれる。傍でひかえた
ドクターが、脈を取る。「ご臨終です」一斉に、お檀家のお念仏が始まる。ご来迎である。心からそうありたいと念じている。
読売新聞(しかない)の医療ルネッサンスの記事。2019.2(No.6983)。長谷川和夫さんは、認知症の第一人者だったかただそうで、その方ご本人が認知症になられた。本
を出版された。「だいじょうぶだよーぼくのおばあちゃんー」
新聞を引用します
認知症で家族のことがわからなくなったおばあちゃんが、家族5人そろった食事の席で「
みなさんはどなたですか?」と困った顔で言う。孫の少年が笑顔で答えた。「みーんなおばあちゃんことを よーくしっているから だいじょうぶだよ。しんぱいないよ、おばあちゃん!」
100歳まで望まなくても、生かされる時代になった。死ねない時代になった。体は100年もっても、頭の方はそうは行かない。結果として、人間では死ねず、認知症の諸症状で家族に迷惑をかけ、挙げ句、嫁と姑の殺人事件などを聞く。元々仲が悪ければ、最後は
地獄へ行きつく。地獄へ行かないためには、人間でいるうちに往生したい。切なる願いである。
ではどうするか。大往生したければ、医者には近づかず、癌とわかれば、なにもせず、薬は飲まず、可能な限り体重を減らし、なんでも良く噛み丈夫な体、腹八分目医者知らず、
何事も過ぎたるはなお及ばざるが如しの三訓を遵守しながら、規則正しい、感謝に満ちた
余生を送るしか方法はない。
天皇陛下と阿弥陀様に感謝しながら、なんとかあと残された命をお念仏で昇華しよう。

2019年2月21日木曜日

結構気分がいい

結構気分がいい。コーヒーも進む。今朝から何杯だろう。よし!ガッツ!となると一杯のコーヒーが欲しくなる。少し、カフェイン依存かもしれない。まあいいや。
気分がいいその一
知り合いの車に載せてもらった。独逸製の多目的なんとかというヤツで、大きい。助手席
に乗ったら、ボンネットの上に、スピードメーター+時計のきれいな、透明のアクリル板
に、数字が反射して、白いスピードメーター、緑の時計、赤いアイコンで、とても美しい。ひと目ぼれした。
動画サイトで、まず検索し、大方検討つけて、通販サイトへという手順を踏んだとか。なるほど、それはいい。UとAだな。キーワードは何だろう。言葉さえわかれば、目的物へは
一直線で行ける。
見つけた。HUD。ヘッドアップデスプレイというらしい。現物を見ているのだから、探すのは簡単。GPSでスピードメーター動かすらしいから、少し高いが、GPS仕様だな。それにしても独逸製の多目的に乗るやつは、2〜3千円程度と言っていたが、桁が違う。大雑把なものだ、数字には。2〜3千円と12Kは、違うぜよ。
待つこと何時間?発注の翌日午後には商品到着。セット。細かしいことはともかく、車が
動いて、スピードメーターが動けば、80%OK。翌日時刻は電波時計で、何もしなくても
ジャストミート。めでたしめでたし。倅の誕生日のプレゼントこれにしよう。値段も手頃
お買い得ですよ。
も一つご機嫌のわけ。グーグルでドメインを買った。1年 ¥1,400¥ですよ。しかも漢字
のドメイン。南無阿弥陀仏.com 漢字とローマ字混じりのドメインです。いいじゃないか。
メールアドレスは一つ600円。うーん。プロヴァイダーは食っていけなくなるだろう。
ドメイン作って、中身を入れて、とにかく情報発信の手立てだけは、して置きます。
基本的な、WEB作りのスキルなど持ち合わせようがなく、見よう見まね、猿真似で、なんとか、英語の訳のわからないサイトで、悪戦苦闘の末、とにかくドメインとメールアドレスをゲットした。
リダイレクトだの、すでに確保してある jodosyu.jpというドメインとの整合性をとるためには、また南無阿弥陀佛 .comの中身を作るのは、プロの手を借りなければ、ミバのいいサイトは難しい。難しいが、なにも芸術作品でなくていい。サイトをどれだけ安価に維持管理できるか、伝えたい情報をミニマムに絞って、発信し続けよう。根気よく牛のように。

進むしかないよねえ

あ!これほしい、と思うものも少なくなった。懐具合と相談しながら、かみさんの顔色伺いながら、デジタルおもちゃ、もう止めた、といいながら、なんとかの法則で、この手の
おもちゃの価格が、一年で三割位値下がりするのは目に見えているから、もう少し価格が
こなれてから買おう、と、つい貧乏暮らしの長さがくせに出る。
いつから、こんなに、値段のことが気になるようになったかと思い返すと、やっぱり親元
離れて独立採算でやらざるを得ず、あしたの昼飯代を気にしながら、あるいは、空腹を我慢して、昼飯代をためて、あこがれの、神田のニコライ堂近くの、地下の洋食屋で、グラタン定食は、学食の昼飯の4日分だったが、近所のサラリーマンに混じって、パンとグラタンとコーヒーで、小さな満足をゲットしていた頃かろから数えれば半世紀はくだらない
貧乏暮らしだ。
新潟に勤めていたころは、品物の、とにかく安いものをさがして、古物商や、質流れ、廃屋のゴミ、閉店事務所などから、使えそうなものを漁るのが仕事の一部だった。今なら、
パソコンに座って、キーボード叩けば、それこそ欲しいものはなんでも、手に入る。価格
だって、ピンからきりまで、お好み次第。いい時代になったものである。
そのタイトながまぐちを開かせる、商品開発者の努力たるや、多分涙ぐましい努力をお続けなのだろうし、いくら自分でこれは素晴らしい商品になるぞと、インスピレーションを
感じたとしても、うまく時流に乗らなければ、消費者のニーズに合わなければ、あえなく
ダウンせざるを得ない。
 ぼろぼろになったIBMを立て直した人が誰かは知らないが、多分汎用コンピューターで一度世界制覇した、至福は、企業として忘れることができず、世界一博士の多かった開発室
が、エンドユーザーのニーズを理解できるはずがない。顧客は問題解決が欲しいのであって、性能の良いコンピューターが欲しいのではないということに気がついた人がいたらしい 。パソコンはレノボに売って、まだIBMは、潰れていない。
グーグルが、新しいノートパソコンを出したらしい。アメリカではアマゾンでそこそこの
価格が人気になっているとのこと。日本での販売は、遅れるだろうが、待つ。レノボとグーグルの共演など面白いではありませんか。
最近ドコモで出した、グーグルのスマホは、えらく強気で、高値設定だけれど、廉価版も
期待できそうでなによりだろう。クロームのブラウザーで出た時、ネットはグーグルに制覇されるだろうという予感は、いまのところ当たりつつ有る。

2019年2月20日水曜日

続けなければ意味ないよねえ

情報発信のむずかしさ

最後の投稿が2015年とわかると、さて今までなにをしていたのだろかと考えてしまう。情報は発信し続けなければ、他から情報はいただけないとわかっていても、さりとて
SNSで、いいね!いいね!というのも、なにか、大人げない。
 発信すべき情報がなければ、当然ブログを書くこともできないだろうが、まあ、大上段
に振りかぶらず、男もすなるにきというものをおなごもしてみんとてするなり、位の軽い
ノリで、やってみようではありませんか。
 今日は、新聞ネタです。読売新聞平成31年2月20日新潟版。医療ルネッサンスという連続シリーズものをやっています。ときどき、どきどきするような記事が出ます。20
日の記事は、認知症のお婆ちゃんが、5人で食事する時に、全員の顔がわからず、そういう趣旨の発言をした時の、お孫さんの、言葉に感動しました。
 「おばあちゃんが、誰も知らない人でも、みんなお婆ちゃんをよく知っているから安心していいよ!」これは泣けます。こういう教育をこれからは、みんなでして行かなくては
なりません。教育するのは、認知症未満の高齢者、教育されるのは、高齢者の子供たち。
孫たちではありません。
 高齢者 「私も、00歳。いつ認知症になるかわからない。私がお前たちの顔が分からなくなって、どちら様ですかと尋ねるようになったら、心配しなくていいよ。私たち(高齢者の子供たち)が、よくお婆ちゃんを知っているから、心配しないでね。やさしく、言い聞かせて、ほしい。そうすれば、認知症対非認知症という先鋭化しそうな、人間関係も
すこしは和らぐであろう。」
 高齢者の子供 「確かに、あなたどなたですかと、我が母親に言われれば、ショックだろうが、病気というものは、そういうものだということを理解するのが、前提で、子供の顔が分からなくなるのなんかは、いいほうで、いろいろな症状があると聞いている。認知症の親に、真の意味で愛情を抱けるかどうかは、人間としての力量を問われているようなもの。親あってこの我ありと、ここは一番ふんばるか!」
 高齢者の子供(親)「子どもたち、いつかお父さんもおばあちゃんのように、なるかもしれない。長生きすれば、どうしてもそうなる。だから、お父さんが、お前たちに、どなた様ですかと言ったら、自分たちがよくお父さん(そのころにはおじいちゃんになって
いてほしいが、つまりお前たちが成長して、結婚して家庭を作って、こどもがいて)を知っているから心配しないでいいよ。と言ってほしいのだ。