お念佛からはじまる幸せ

2019年2月20日水曜日

続けなければ意味ないよねえ

情報発信のむずかしさ

最後の投稿が2015年とわかると、さて今までなにをしていたのだろかと考えてしまう。情報は発信し続けなければ、他から情報はいただけないとわかっていても、さりとて
SNSで、いいね!いいね!というのも、なにか、大人げない。
 発信すべき情報がなければ、当然ブログを書くこともできないだろうが、まあ、大上段
に振りかぶらず、男もすなるにきというものをおなごもしてみんとてするなり、位の軽い
ノリで、やってみようではありませんか。
 今日は、新聞ネタです。読売新聞平成31年2月20日新潟版。医療ルネッサンスという連続シリーズものをやっています。ときどき、どきどきするような記事が出ます。20
日の記事は、認知症のお婆ちゃんが、5人で食事する時に、全員の顔がわからず、そういう趣旨の発言をした時の、お孫さんの、言葉に感動しました。
 「おばあちゃんが、誰も知らない人でも、みんなお婆ちゃんをよく知っているから安心していいよ!」これは泣けます。こういう教育をこれからは、みんなでして行かなくては
なりません。教育するのは、認知症未満の高齢者、教育されるのは、高齢者の子供たち。
孫たちではありません。
 高齢者 「私も、00歳。いつ認知症になるかわからない。私がお前たちの顔が分からなくなって、どちら様ですかと尋ねるようになったら、心配しなくていいよ。私たち(高齢者の子供たち)が、よくお婆ちゃんを知っているから、心配しないでね。やさしく、言い聞かせて、ほしい。そうすれば、認知症対非認知症という先鋭化しそうな、人間関係も
すこしは和らぐであろう。」
 高齢者の子供 「確かに、あなたどなたですかと、我が母親に言われれば、ショックだろうが、病気というものは、そういうものだということを理解するのが、前提で、子供の顔が分からなくなるのなんかは、いいほうで、いろいろな症状があると聞いている。認知症の親に、真の意味で愛情を抱けるかどうかは、人間としての力量を問われているようなもの。親あってこの我ありと、ここは一番ふんばるか!」
 高齢者の子供(親)「子どもたち、いつかお父さんもおばあちゃんのように、なるかもしれない。長生きすれば、どうしてもそうなる。だから、お父さんが、お前たちに、どなた様ですかと言ったら、自分たちがよくお父さん(そのころにはおじいちゃんになって
いてほしいが、つまりお前たちが成長して、結婚して家庭を作って、こどもがいて)を知っているから心配しないでいいよ。と言ってほしいのだ。

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