お念佛からはじまる幸せ

2019年3月22日金曜日

ラーメン

国民食ラーメン。いや、世界食ラーメンになった。大戦間もなくの、「欲しがりません勝つまで」が、記憶に残る戦中の標語だった時代にも、贅沢は敵だというポスターの「は」と「敵」の間に、素を入れた人物がいるという。贅沢は素敵だ。
こういうのを、ユーモアという。日本人全部が、戦中は、オーム真理教のようだったとか言った、東京大学の有名な先生がいたそうだが、なんとなく、納得できる感じだ。
そういう世間風潮の中で、贅沢は素敵だ言える人は、素晴らしい。これは、贅沢した者だろうこう言えるのは。贅沢の味を知らない者はこうは言えない。
国民放送の、毎朝の寸劇は、インスタントラーメンを発明して、資産家になった人物の一代記をやっている。世界中の、貧乏人でも、飢えなくてすむような、優れた発明であり、
還暦過ぎて、さすがにあまりこの手のものを、食することが少なくなったが、やはり、かなりの部分、お手軽な、廉価なもので、空腹を満たした思い出は残る。舌に、味が残っている。不味くはない、美味でもないという、まあ世の中の食いもんは、かなりの部分このランクに入るのだろうが、とにかく、手っとり速さが、売り物になった。
学生の頃は、仕送りは、2週間持てばいいほうで、昼・夜買いためておいた、チキンラーメンを手鍋で作り、卵と長ネギくらいは載せて、洗うのが面倒だから、手鍋で食う。飯は
釜と米と水があればできる。コスパは最高で、とにかく、腹は膨れた。学校帰りに、通り道の肉屋の親父が揚げてくれた、魚肉ソーセージを縦に2つ割した空揚げに、ウースターソースがあれば、大宴会だ。
まあ、日本人全部ラーメン評論家の資格をお持ちのようだから、あれこれ申しあげるつもりはないし、一体全体、日本中に、ラーメン屋は何軒あるのだろうか。あとで暇つぶしに
ネットで調べてみるか。
懐かしいラーメンは、新宿の柏木に、法務局があった頃、学校でて間もなく、少し働かせてもらった、法務局近くのラーメンが懐かしい。酢を掛けていただく。醤油味で、透明な
油は少し浮かぶ。この手のラーメンで、新宿のあと、後年、新潟市の北越高校のグランド
脇のラーメン屋が同じ味だったから、ラーメンにも流派があるとすれば、何流なのか。
どこかに、この手のラーメン屋があったら、教えて欲しい。
親父は、大学の寄宿舎のカレーの味を懐かしんで、どこにもないカレーを、自ら手作りして、とてもじゃないが、食えたものではなく、家人の顰蹙を買った。この歳になると分からんでもない。どこにも無ければ、作るしか手がない。どうやって作るのか分からない。
それでもやって見ようという人間が、世界に冠たるN食品の基礎を築いたのだろうきっと。

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