お念佛からはじまる幸せ

2019年3月27日水曜日

筆記具

万年筆が嬉しい。キーボードで入力するのは、苦痛である。生まれつきの、ローマ字民族ではい。パソコンが、アルファベット生まれであることを考えれば、いまのように、日本語を、自在に表現できる時がくるとは、思わなかった。
カタカナしか入力できず、電報のような、情報で我慢したのは、どのくらいの年月だっただろうか。さっき、ラジオで漫才やっていたが、「毎日どんどん進化するという四字熟語は?」「日進月歩」「違います」「なによ」「携帯電話」(笑い)
思わずにやり。パソコンもそうだ。ここまでの道のりは平坦ではなかった。W310から
始まって、W95、次から次へと、買わされて、機械は進化を続け、国民機9800シリーズがあり、アップル革命があった。
値段が半端ではなかった。アップルSE(初めてハードディスクがついた)のセットは、キーボード、マウス、プリンターで130万円した。かみさんには内緒で、ポケマネで買った。会社が買ってくれないなら、自分で買うさ。
For the left of us.残されたすべてのもののために。ジョブズの意気込みを感じた。ハイパーカードの使い勝手のよさは、今でも通用するとおもうよ。W3なんて、使えたものではなかった。バイナリー言語がわかるものは知らず、コマンドなんて頭に入るものではない。多分このわかりにくさを、キチンと学習して、将来に備えた者は、財をなしているのだろう。行く先の見当は、おぼろついても、それを、incomeにつなげるのは、やはり才能だろう。商いは別物である。人の心を掴まなければならない。
出版だろうが、手紙だろうが、パソコン叩いてメールでサ!、という時代になった。電話
はもう、迷惑道具と心得なければならない。かかってきた電話に、でるのには、頭を、電話モードに切り替える→受話器をもつ→相手によっては、演技する。ニコニコマークのどの顔にするか→情報を受取る→反応する→終わる→受話器を置く→頭を電話前の仕事のモードに切り替える。これを、AI並に動かしている最中に中断されるのは、私もいやだ。
携帯電話の番号を知っているのは、家人、親友、兄弟位なもので、SNSも、あまりのうるささに辟易する。
75歳にもなって、お誕生日おめでとう言われても、そらぞらしい。紙と万年筆で、原稿書いて、財をなした人たちは幸せだった。その前は、文房三宝で、国を起こした、中国の
故事もある。道具を通じて、人の心を動かすことの大変さは、いつの時代であれ、難しい。私の買える万年筆は、精々、2万円どまり。ペリカンとSAILORで楽しんでいる。

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