お念佛からはじまる幸せ

2019年4月17日水曜日

お相撲見学

相撲観ないかという、ありがたいお誘いで、令和元年5月13日、蔵前国技館へ行くことになりました。
小学生徒のころ、多分2年生か3年生のころ、我が町へ、大相撲の地方巡業が来ました。横綱で言えば、照国が引退してすぐ、羽黒山伝説がまだ巷に残り、東富士・千代の山・鏡里・吉羽山がきら星のように並んでいた頃です。三条へ、おいでになったのは、どの横綱か、記憶がありません。
極楽寺へ、何人かお相撲さんたちが、寝泊まりして、四股名を加茂錦というお相撲さんが
体調を崩して、土俵に上がれず、私達ガキ共の相手をしてくれたのを、覚えています。
お相撲さんがたが、出入りするだけで、なんとなく賑やかだし景気がいい。言って見ればお祭り騒ぎを、子どもたちが嫌いなわけがありません。
あとで聞いた話では、ニチロ漁業の創業者のご兄弟が、吉葉山のたにまちで、そういった関係から、三条への地方巡業もありだったのかと、今では思っています。
ラジオで熱中した、栃若時代。そのラジオも、母親の兄弟が手作りの、コンソール型の、蓄音機で、大きなラジオでした。テレビの時代です。ラジオで聞く大相撲スポーツアナの興奮と己の興奮を共有した、あの感動は難しい時代になってしまいました。
名人は上手の坂を一上がり。名人といわれるほどのアナウンサーは、相撲の番組前に、次から次へ繰り出される数々の四十八手を、立会前に、そのアナウンサーの事前放送のとおりに、お相撲さんが動いたという伝説があります。
アメリカのマスターズゴルフの映像を見ているうちに、この、実際よりも前に、実況放送するという伝説を思い出しました。かつてのヒーロー中島常幸さんの解説が、この相撲放送なみに、現実を氏が予言したとおりに、ことが運ばれることに、感動しました。
中島さん位になると、タイガーがどうプレイするか、予測でき、しかもその予測がピタリピタリとあたるのです。世界のベストゴルフプレイヤー同士ならではの、放送でした。
競馬も、のめり込んでいくと、なん千レースにか一度位、1着から3着馬まで、どう走って、どうなるかわかることがあります。その時、今だ、ナウとばかり、全財産を投入できる人はそう多くはいないでしょう。私もそんな勇気がなくて、幸せです。切り株にころり転げたウサギさんを、いつまでも待ってはおれません。
相撲の話が、ゴルフへ、競馬へとなってしまいました。相撲だって、相対での賭け事にすればきっと面白くなるのでしょうが。気力も財力も相手もいなくて幸せです。
大きな空間の中、きれいな証明で、お相撲さんが一番キレイに見えるように、色も、温度
も湿度も調節されて(少し暑いくらいか)、桟敷は少し狭いが、4人用を3人で使っているので、贅沢といえば、贅沢です。
桟敷の料金に入っているので、飲み物は好きなだけ飲めます。お酒好きな方はたまらないでしょう。相撲見物は、トラックで来たほうがいいかなと思われる位たくさんの食べ物と、お土産で、お腹は一日座っていても十分満たされます。
知人と相撲見物の話になったとき、本当に相撲の好きなお嬢さんが、朝はやく国技館についたら、茶屋の方に、あまり早くこないで欲しいといわれたとか。
本当の相撲好きは、少ないお客の中で、真剣に相撲をとっている、番付表の下の方たちの
取り組みを見て、こいつは見どころがある、いずれ出世するだろうと贔屓にするのが粋なタニマチで、競馬も時間的に早い番組のパドックで、イツカこいつは、オープン馬になると将来を夢見るのが、本当の競馬ファンドだと聞きました。お相撲と競馬を一緒にしてすみませんが、そういえば、仕込み済の新酒をキイテ、こいつはン年後に化けるぞなどと、先物投資をするのが、楽しいのだそうで目先が利くことは、人生の楽しみなのでしょう。

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