お念佛からはじまる幸せ

2019年3月4日月曜日

インド インド インド(1)

何事も三度唱えると叶うという。インド インド インド。何回でも行きたい。インド行きは、覚悟が必要だ。ツアー旅行でも、かなりリスクがある。リスクといえば、どこへ行こうとある程度のリスクはつきものだろうが、インドにはインド固有のリスクがある。そういう中で二度目のインド。
二度目のインドへの旅。旅行業者からの案内に反応して、元気な内にもう一度行ってみたいと思った。あの喧騒と混沌が懐かしい。どんな旅がま待つのだろうか。
往きの飛航は楽しかった、二つの意味で。ひとつは座った席の周りが空いていた。ふたつは途中から、前の列に座っていたインドの妙齢のご婦人が一つ間をおいた左隣の席に座り
直して、あなたはお坊さんですか?と尋ねてきた。私が前回仏跡の旅の途中で、インド更紗で一晩で仕立ててくれた、おみやげ物のクルタを着ていたせいなのか。どうして私がお坊さんと思ったのか聞くと、身なりだという。日本人ならこの格好を見てまず坊主だとは思うまい。
彼女は瞑想が好きで、あるマスターに就いて、瞑想を習っていたという。そのマスターも
故人らしい。小さなグループで学習しているとか。ソニーでシステムエンジニアーあるいはプログラマーをしているらしい。。ニューヨークと東京が仕事場のようだ。私が言葉に
詰まり、詫びると、この女性は、私は日本語ができませんという日本語しかできないと笑っていた。
私が昔、COBOLプログラムに触っていた頃を思い出した。プログラム言語を考えて、結果がでるまでの試行錯誤の中で、頭の中の状態は、祈りの時に似ているのかも知れない。彼女の頭脳がコンピューターソフトと、祈りの世界がどう共生しているか覗いてみたいような気がする。
もう一つの収穫は、席の前にある画面で、映画を観た。「パイの人生」とでも訳すのか。”Life of Pi"お子様ジャンルに入っていた。虎と少年の愛の物語。涙が出た。動物と人
の交流の物語は素直に感動できる。本は帰りに買った。デリーの飛行場にあった。DVDは帰ってきてアマゾンで買った。日本語の字幕がないと、言葉のやりとりのシーンは理解できない。これが家人への一番のおみやげかも知れない。
前回の佛跡の旅は釈尊のおわしました大地に立つ感動があった。誤解を恐れずに言えば、遺跡なんぞはどうでもよい。どれだけ「法」を思い続けることができるかが問題なのだ。今回は佛教遺跡が少なくてかえってよかった。
                      インド インド インド(1)続く

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