お念佛からはじまる幸せ

2019年8月22日木曜日

昭和28年5月10日花祭り

昭和28年5月10日は、小衲御年9歳、小学4年生の春。三条仏教会主催の花祭りが東本願寺別院を会場に行われました。西別院から、東別院までの数キロの道のりをおねりするのです。その西別院は今はありません。いまは、鍛冶道場という市の施設になっています。
そのころの花祭りにBGMがあったかどうかは定かではありません。
♪昔も昔三千年 花咲におう 春八日 響き渡った一声は 天にも地にも われ一人♪
花祭りといえばこの、花祭り行進曲がついてまわります。戦後の軍隊映画に、軍隊行進曲がついてまわったように。軍隊行進曲が、パチンコ屋のテーマミュージックになったころから日本はおかしくなりました。
新潟の、一地方の町三条の、仏教会の花祭りに、本物のぞうさんが、歩いたのですよ。
写真の出どころは、2006年3月3日 株式会社郷土出版社 「三条加茂今昔写真帖」です。勝手に使ってすみません。
この写真をアップしたのは、ぞうさんを見て頂きたいのと同時に、ぞうさんの左側を少し離れて歩く、少年にご注目頂きたいのです。御年9歳にして、この花祭りは俺が仕切っているんだという、少年の気概を感じて頂きたいのです。小衲です。
ぞうさんから少し離れて、右後方を歩く紳士は、当山大壇越であった、まるよしの故吉田熊次、花祭り奉讃会長さん。そのまるよしさん、今はありません。
吉田さんと弊山の先住とは懇意で、花祭りへは、多額のご寄付を、毎年頂戴し、物心両面に渡るご支援を、長い間頂戴しました。
文化を育てるには、お金がかかります。予算化されない事業は、絵に書いた餅です。おなかはふくれません。傘を持ってお歩きのお坊さま、そのすぐ後ろのかた、ぞうさんの左後方のお坊様。どなたでしょうか。いずれも故人でしょうか。
西別院から東別院へのおねりの途中、いもやさんという屋号の八百屋さんの店先のりんごを、このぞうさんが鼻先で上手に掴んだなどという思い出も、弊山先住と協力して、花祭りを盛り上げてくださった、三条市内の故住職さん方々のお顔とともに、懐かしく思いだされるのは、後期高齢者の仲間入りした、小衲の感慨でしょうか。
三条まつりには必ずついて来た、サーカスもいつか無くなりました。そのサーカスから来てくれたぞうさんが、いまどうしているのかなあなどと考えてしまいます。
小衲の頭の中では、長崎の原子爆弾の後の、死んだ兄弟を背負った少年の写真と、このぞうさんと一緒に歩く私の身なりがダブります。
同時代を生きた者同士にしかわからない、時代の空気、匂い、皮膚感覚は、ラジオを流れる「訪ね人の時間」とか「街頭録音」とか「大相撲中継」などの記憶とともに、団塊の世代が死に絶えるとき、地上から忘却されてしまうのでしょうか。

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