お念佛からはじまる幸せ

2019年6月25日火曜日

人生案内

2019年6月24日の読売新聞。「人生案内」
義母の法要でのこと。法要後お食事(これはおとき お斎という)に欠席連絡のあった義母の弟夫婦が、お斎に座ってしまい、予定していた次女夫婦が座れなかった。そのことを悩んで8年です。どうしたらいいでしょうか。
皆さんどう思います?
考えられる答えを、羅列します。
(1)いつ、どこで、だれが、なにを、なんのため、いくらかけて するのか明確になっていないからこういうことになる。5W1Hなど、小学生でも知っているだろう。
(2)云った、いわないは喧嘩のもと。少人数ではあっても、書いたもの、文書・はがきの連絡にする。高齢化で、ますますこの手のトラブルが増えるだろう、云ったいわないという。
(3)当世風にするなら、法要参加費例えば、1万円、食事参加費例えば1万円と明記し
参加事項に丸印をつける。こうすれば、よほどの阿呆でない限り、出席・欠席くらいは連絡してくれる。それも忘れるようでは、認知症であり、付き添いが必要となる。かくいう私も、そろそろ、その領域に差し掛かっている。
(4)善後策の講じ方が下手。ご霊前の中身で「忖度」するのではなく、食事会へ参加するのかどうか、本人に確認し、確認できた時点で、応急措置が可能であれば、追加・キャンセルが可能化かどうか、食事場所へ電話連絡する。ドタキャンを業者は喜ばないだろうが、この場合二人前くらいの追加はできないような、食事場所なら、やめたほうがいい。
(5)葬祭風習は、地方によって異なり、自分の常識は通用しないと知るべきであり、ご当地の風習は、知らないことを前提に、ねほりはほり問糺こと。行事の予定内容がわからないようでは、自分の行動予定が立たない。地方の常識、他地方の非常識。
(6)早い話、全て、少子化と核家族化がもたらした。挙げ句、自分の無知を棚にあげて
面倒だから、法事を止めよう。面白くもないし。そんなことに頭と金使うのなら、デズニイにでも行って、孫の喜ぶ顔見れば、死んだおじちゃんも嬉しいに違いない。よって坊主
と料理屋は泣きを見る。
(7)年忌の案内が寺から行ったら、それぞれ予算に応じて、何もしないのではなく、お墓へ花を飾って、手を合わせるだけでもいいから、なにかしてほしいという、言い方をしている。
(8)8年も悩まないで!年忌法要はまだやってきます。次回は失敗しないように。
世の中には、いろいろな人がいて、面白いのでしょう。それでも、どうでもいいことをどうでもいいことと考えられなくなったら、一応病気な?と考えられるくらいの、余裕は欲しいものです。
試してみて下さい。
1.甘いものは食べない。
2.お米は減らす。
3.小麦粉は避ける。
4.炭水化物を減らす。
5.グルテンを避ける。
これだけでも、随分違います。お腹の中身と、頭の中身が密接に関係していることがわかってきました。
どう生きるかということと、何を食べる(なにを食べない)かは、直接関係してしています。それは、思ったより大きなおおきな関係性がありそうですよ。

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