お念佛からはじまる幸せ

2019年9月1日日曜日

アビダルマ

またお勉強することが、増えました。令和元年8月30日(友引)東京都千代田区神田神保町1−101 神保町101ビル3階で、午後7時開始の「第63回サンガくらぶ仏教ビギナーのためのアビダルマ入門」を聴いてきました。
講師は藤本晃氏。この講習会に参加しようと決めるまで、いくつかのご縁のステップがあります。
とある葬儀のお手伝いに伺って、藤本氏の「供養ってなに?」をいただきました。私はお通夜には呼ばれませんでしたが、お通夜を執式されたお寺の副住職のご厚意によるもので
先に着いた控室の私の席のテーブルに「供養ってなに?」がおいてありました。
これが、面白い。よく分かる。私は、自分がいくら読んでも分からないものは、「縁無き衆生」と自らを諦めることにしています。
よくわかった人の話はよくわかるし、本もよく分かるし、面白いと思います。話の内容が腑に落ちれば、自分の肥やしになります。分からないものを、聴いたり読んだりしてもイライラするだけで、ストレスが大きく、許容限界を超えれば、病気になります。
さあ、仏教学を正式に学んだことのない私が、abhi-darmaに挑戦するのです。生き残れるか、あえなく戦死かわかりません。
「供養ってなに?」の後、同じ藤本晃氏の「浄土真宗は仏教なのか?」というこれまた超挑戦的な本を入手、キンドルで同時進行で、「日本仏教は仏教なのか?」を読み始めました。読み始めたところへ、サンガからこの講習会のお誘いメールをいただきました。
ちょうど、お盆も終わり、暑さも一息、連日の大雨も一息のような感じで、ご縁があれば
お仲間にしていただけるだろう、ご縁がなければ、それまでよと、メールいたしましたら、運良く、OKのお返事。
急遽私設旅行会社(かみさんのこと)から、九段下の安いホテルをとってもらい、聴講決定。行けるときにはこんなもんでしょう。かみさんと二人で、中国旅行したときも、思いもかけず、スペイン旅行したときも、こんな感じでしたなあ。
私のばあい、かなりの部分、食い物と、一切の物事が連動しているので、およそ坊主らしくない、いやもともと、テーラワーダの方々から見れば、まさに私などは「在家」なのでしょうから、親鸞聖人がご自身を「非僧非俗」と言われたように、仏教と大乗仏教に挟まれて、アイデンテティに悩むことなく、日常業務をこなすのは、京都の総元締めにみかじめ料を払って、お墨付きをいただく、伝統芸能の芸者であり、およそ宗教であるなどと、おこがましくも思わないほうが、よほど、これからの残された人生を過ごし易くなるでしょう。神保町で食い物探し。三省堂地下の放心亭(名前もよし)で。(別記します。)
大乗非佛説、浄土三部経偽経、西方極楽浄神話説を踏まえながら、そこをしっかり逃げ出さずに、議論しながら、しからば宗祖の教えをどう現代に活かしていくのか、あるいはもうどうにもならないか、つまり、本当にもう出家するしか道はないのか、どうやら真剣に考え直さなければならない時が来たようです。
講習会では、様々な感想を持ちながら、あらゆる物事を批判的な目で見がちな後期高齢者が、出家僧侶になることの本当の意味、テーラワーダで出家することの意義を教えていただきました。まあ、禅の二祖慧可断臂図を想起させられます。早い話、命がけということです。今何宗であれ、本当に命を掛けて、修行する人がどれほどおいでなのか知りませんが、案外、まだ大乗仏教も捨てたもんじゃないぜということができるような話を是非伺いたいものです。
サンガへスマナサーラ長老と藤本晃氏の「実践心理学7巻セット」を注文しました。さあ、少なくとも、読み終わらないうちは、死ねません。私にこれが理解できるかなあ。

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