お念佛からはじまる幸せ

2019年9月10日火曜日

京浜急行川崎衝突事故


再び、京急川崎事故について。
新聞報道を読んでいたら、横浜市神奈川区で果物を積んで、千葉県内の取引先へ届ける予定のルートは、今回で4回目だったとある。
なぜ、高速道路に乗るには、国道の交差点をUターンするという、この業務でのポイントを
外してしまったのか。会社の同僚も驚いているというコメントもあったが、それよりも、このUターンして国道に乗るという、信号機のところで、これだけ大きなトラックが右折ではなく、Uターンするという、ルート設定にそもそも無理はなかったのか。
信号機のところで、普通乗用車でも、Uターンするのは、なかなか勇気が必要だ。信号機のタイミング、対向車線の交通量、道路幅、運転車両の回転半径と、道路幅員など、様々な要素のからむ、運転動作であり、差右折との、スキル程度は比較にならない。
よほど、切羽つまった事情が無い限り、信号機でのUターンはしないほうが、無難である。
いやそれよりも、やむなく、信号機Uターンというのは、してもよいのか、道路交通法では
問題ないのか、Uターン禁止という標識が昔は、あったように記憶するが、現在はどうなのだろう。現場も知らないで、余計な事言うなと叱られるか。
大型の車両には、それなりに大きい道路のナビゲーションがあるはずで、自己車両が通行できない幅員の道路は、その車両にとっては、無いのと同じである。
ナビゲーションがまだ試作段階のころ、北海道の道路地図をナビにのせようとしたら、地図会社の道路がところどころ、寸断されている。変だと思い、聞いてみたら、北海道では
幅員3メートル(だったか?)以下は、道路のうちに入らないから、載せなかったという返答がきたそうで、今なら笑い話だろうが、変に納得した記憶がある。
当市内でも、運転していると、積載量10トン以上もあろうかというトラック、トレーラーが、狭い道で、商品を倉庫に搬入しようとしている。倉庫への、面積十分とは言えない
駐車場へバックで駐車しようとして、しばらく、片側一車線の道路を占領することになる。大きな車を、駐車場へバックして入れる技術と、運転者さんへのささやかな思いやりで、ハザードランプを点滅させて、後続車へ、注意を促し、自分は、ゆっくり運転の美技を鑑賞するから、こうして待つ時間は結構楽しい、有意義である。
自動車の運転も、ある意味、人生の運転のようなもので、あおり運転で、他人を殺傷したり、高齢者の暴走運転で、無辜の他人の人生を奪ったり、自分の人生を終わらせたりする
事故が多いが、いくら予測不能の明日でっても、こういう死に方はしたくない。
今回の事故は、トラックを運転していたMMさん一名の死亡事故で、あとは怪我をした方々は、とんでもない災難だったろうし、お見舞い申し上げる。本当に、明日はどうなるかわからない。今日一日、平和で平穏でありますように。            2019.09.10

2019年9月7日土曜日

百日紅 電車大事故

今年は、お盆が終わっても、サルスベリの花がまだ咲いている。平年だと、お盆の墓掃除の頃には、花が散って、墓掃除用の水桶に花が散って、手で掬いだしたものだ。
気温なのか、私の、肥料が効いているのか
それとも、庭屋さんの、薬が効いているのか。本州の、当県の緯度は、さるすべりの木には、いささか、厳しいらしい。スス病とか、ウドンコ病に毎年かかる。
私の肥料は、コーヒーの出し殻を、そのまま、適当に撒くだけだが、少しは肥料として効いていると思いたい。

入り口の紅に対して、墓地内は白。百日白と言うのかしら?白も今年は、寿命が長い。
白は、木が小さいこともあり、日当たりの関係からか、ススもウドンコもでない。従ってコーヒーの出ガラのサービスもない。それでも、懸命に咲いてくれる。
台風が13号だ15号だとうるさい。京浜急行のトラックと電車の衝突事故から、3日。
道を一本間違えたばかりに、命を落とされた、トラック運転手さんの、ご冥福をお祈りいたします。ここからは想像ですが、会社での運転歴はそれほど長くなく、ドライバーとしてベテランであっても、この仕事では初心者で、13トントラックを国道の交差点でUターンして、高速に入るという、搬送道順の設定に無理はないのか。ダブルでドライバーを乗せるほど人余りの会社はないが、それにしても、もし初めての業務なのであれば、補助ナビゲーターをつけておけば、事故は起こらなかった。道路構造にも問題がありそうだ。

2019年9月4日水曜日

ホームページの事

各 位
南無阿弥陀佛 日頃のご精進大慶に存じ上げます。
この度 浄土宗法王山極楽寺 新潟教区長岡組 37番 のホームページを少々改定していただきました。
改定の基本的な考え方(コンセプト)は次とおりです。
1.わかりやすいこと。
2.情報過多にならないこと。
3.品が悪くないこと。
4.時々、自分たちの手で、内容更新ができること。
5.階層構造は三段までとすること。
6.可能な限り、これまでの電磁資産は生かせること。
7.パソコンからスマホへ時代の流れに逆らわないこと。
8.餅は餅屋にたのむこと。
だいたいこんなところでしょうか。それなりに時間と費用がかかりました。
ご用とお急ぎでないかたは、三条極楽寺で検索してみて下さい。
弊山のアドレスは、一次ドメインといいます。他所様のサーバーに間借りしてはいますが、他所様のドメインにぶらさっがった、二次、三次ドメインではありません。
http://www.jodosyu.jp  SSLは https://www.jodosyu.jpです。自分のサイトで、自分の好きなように、メールアドレスも作ることができます。
小衲のメールアドレスは booz@jodosyu.jp または osyo@jodosyu.jp です。どちらでも結構ですから、メール設定も開通したようです。ご意見、ご質問なんでも結構です。お寄せ下さい。もし、メール不達などの不具合がありましたら、お知らせ下さい。
ブログを、できるだけ書き続けたいと以前から考えておりましたが、三日坊主でつづきませんでした。ひとつだけ、googleの無料ブログが生きていて、これを今の所、活かしています。
三条極楽寺 → 和尚の部屋 → 芋猿の日記 ぜひご覧くださいと言えるほど、立派なものではありませんが、ネットの中など、どのみちゴミだらけ、マスコミもマスコミならぬマスゴミだらけ。九牛一毛と思し召して、呵々大笑願います。
各位それぞれお立場で、ご多用のことと存じ上げます。小衲ストレスの少ない、リンパ球の多い、安楽生活を送らせていただいております。寺で生まれ、75年も生きて、どれほどの因で、何ほどの果を得ているかわかりませんが、泥の中に咲いた蓮のように、死んで行ければ、これほどありがたいことはありません。
蕾のまま、死んでしまうか、一花咲かすか、自分で決めることではないでしょう。おひさまと空気と水さえあれば、なんとかなります。そういう風に仕組まれていると知りました。 念仏の行 水 月 を感じて 昇降を得たり とか。      2019.09.04

2019年9月1日日曜日

アビダルマ

またお勉強することが、増えました。令和元年8月30日(友引)東京都千代田区神田神保町1−101 神保町101ビル3階で、午後7時開始の「第63回サンガくらぶ仏教ビギナーのためのアビダルマ入門」を聴いてきました。
講師は藤本晃氏。この講習会に参加しようと決めるまで、いくつかのご縁のステップがあります。
とある葬儀のお手伝いに伺って、藤本氏の「供養ってなに?」をいただきました。私はお通夜には呼ばれませんでしたが、お通夜を執式されたお寺の副住職のご厚意によるもので
先に着いた控室の私の席のテーブルに「供養ってなに?」がおいてありました。
これが、面白い。よく分かる。私は、自分がいくら読んでも分からないものは、「縁無き衆生」と自らを諦めることにしています。
よくわかった人の話はよくわかるし、本もよく分かるし、面白いと思います。話の内容が腑に落ちれば、自分の肥やしになります。分からないものを、聴いたり読んだりしてもイライラするだけで、ストレスが大きく、許容限界を超えれば、病気になります。
さあ、仏教学を正式に学んだことのない私が、abhi-darmaに挑戦するのです。生き残れるか、あえなく戦死かわかりません。
「供養ってなに?」の後、同じ藤本晃氏の「浄土真宗は仏教なのか?」というこれまた超挑戦的な本を入手、キンドルで同時進行で、「日本仏教は仏教なのか?」を読み始めました。読み始めたところへ、サンガからこの講習会のお誘いメールをいただきました。
ちょうど、お盆も終わり、暑さも一息、連日の大雨も一息のような感じで、ご縁があれば
お仲間にしていただけるだろう、ご縁がなければ、それまでよと、メールいたしましたら、運良く、OKのお返事。
急遽私設旅行会社(かみさんのこと)から、九段下の安いホテルをとってもらい、聴講決定。行けるときにはこんなもんでしょう。かみさんと二人で、中国旅行したときも、思いもかけず、スペイン旅行したときも、こんな感じでしたなあ。
私のばあい、かなりの部分、食い物と、一切の物事が連動しているので、およそ坊主らしくない、いやもともと、テーラワーダの方々から見れば、まさに私などは「在家」なのでしょうから、親鸞聖人がご自身を「非僧非俗」と言われたように、仏教と大乗仏教に挟まれて、アイデンテティに悩むことなく、日常業務をこなすのは、京都の総元締めにみかじめ料を払って、お墨付きをいただく、伝統芸能の芸者であり、およそ宗教であるなどと、おこがましくも思わないほうが、よほど、これからの残された人生を過ごし易くなるでしょう。神保町で食い物探し。三省堂地下の放心亭(名前もよし)で。(別記します。)
大乗非佛説、浄土三部経偽経、西方極楽浄神話説を踏まえながら、そこをしっかり逃げ出さずに、議論しながら、しからば宗祖の教えをどう現代に活かしていくのか、あるいはもうどうにもならないか、つまり、本当にもう出家するしか道はないのか、どうやら真剣に考え直さなければならない時が来たようです。
講習会では、様々な感想を持ちながら、あらゆる物事を批判的な目で見がちな後期高齢者が、出家僧侶になることの本当の意味、テーラワーダで出家することの意義を教えていただきました。まあ、禅の二祖慧可断臂図を想起させられます。早い話、命がけということです。今何宗であれ、本当に命を掛けて、修行する人がどれほどおいでなのか知りませんが、案外、まだ大乗仏教も捨てたもんじゃないぜということができるような話を是非伺いたいものです。
サンガへスマナサーラ長老と藤本晃氏の「実践心理学7巻セット」を注文しました。さあ、少なくとも、読み終わらないうちは、死ねません。私にこれが理解できるかなあ。

2019年8月27日火曜日

友へ

携帯電話を度々変えて、しかも番号が変わり、ご迷惑をお掛けします。おまけに、今使っている携帯電話は、ドコモの「カード携帯」で、ヨコ×タテ×アツミが55ミリ×90ミリ×
5ミリ。重さ50グラムという、小さいものです。
どうしてこれにしたかというと、
1.ガラケーの時代は終わった。
2.スマホも色々やってみた。
  (1)フェイスブック
  (2)インスタグラム
  (3)ツイッター
  (4)その他
  SNSも性分に合わない。なにか連絡が来ると、一々イイネ、イイネと、アホかいな。
3.東京へ行って、道を歩く、電車に乗る。店に入る。駅へ行く。立っていても、腰掛けていても、必ずスマホを取り出して、何事か始める。明らかにスマホ依存症だ。もうやめよう。棺桶の中まで、スマホ持って行けないよ。
というとき、ドコモがやってくれました。
京セラと、こういうニーズもあるだろうということで、電話できればいいじゃないか、あとはそこそこの機能でいいだろうというコンセプトで、ドコモが作ってくれました。こんなもの売れないよと思っている、電話メーカーさんは、時代の風を読めない大企業病です。使いものにはならないが、ウェブも見ることができるし、必要最小限の機能は備えています。
なによりうれしいのは、スマホの電磁波が、脳に与える影響が話題になっていますが、それを最小限に抑えようと努力しているようです。充電器が少し大きいのが玉に傷ですが、
一台買って、使い勝手がいいから、もう一台、家内が専用にしています。
本体が小さいため、当たり前ですが、字が小さい。電話する番号は、普通の遠近両用メガネで間に合いますが、貴兄からのショートメールを読むには、読書用のメガネプラス拡大鏡が必要です。月々の料金も安い。いとこと話をすると結構長く、そういう方式の料金。
それでも、重たいスマホ持って歩くのに比べれば、なんと楽なことか。京セラの稲盛さんは、米日の電話料金の余りの違いに、競争しない社会は潰れるだろうと、KDDIを立ち上げたそうです。
スマホだ、タブレットだ、ノートパソコンだと、結構オタクっぽいことをしてきましが、
世の中をどう動かしたいのか、政治と企業と資本の論理に、右往左往しないように、少し
斜に構え、皮肉っぽく世の中の波風を見て行きたいと思っています。
  字が小さくても読みます。ときにはメール下さい。     2019/0827

生かされて

なんだか分からない写真です。自宅の裏の、側溝の、グレーチングの下50センチメートルに咲いた花です。花の名前は知りません。どなたかご存知のかた、教えて下さい。
反射して少し水があるのがわかります。水と光と空気があれば、このように、まるで刑務所のなかの囚人のような環境でも、花が咲いていることに、感動します。
グレーチングを外して花を救助?して、地植えしてあげたいような気にもなりますが、私たちも、孫悟空とお釈迦様の手にひらのお話のように、大宇宙の中、地上というグレーチングになかで、水を空気と光をいただき、生かされているのでしょうか。
生かされているといえば、NHKの夕方のラジオ放送で、全盲のセーラー岩本光弘さんのインタヴューをお風呂の中で聞きました。体を洗うのを忘れる位、素晴らしいお話でした。特に、日本に近づいてから、低気圧にあい、6メートルを超える波のなかで、エレベーターのように上がったり下がったりして、12メートルのヨットがもみくちゃになり、生きた心地がせず、死ぬかと思ったというくだりは、感動ものです。
辛坊治郎さんと一度、日本からアメリカへ横断に挑戦し、クジラと衝突して失敗した経緯があり、横断成功は、本当の喜びだったでしょう。
生死を分けるような冒険を経験した人にしか語れないような、言葉が出てきます。人間本当の難儀を経験しないと、生きる喜びを語ることができないのかもしれません。
東から受ける太陽の暖かさで、西の方向を知って、航行するという言葉など、落涙ものです。普段、阿弥陀様は西方浄土においでです、さあ行きましょうなどということは言っていても、首筋に受ける太陽の暖かさで、西方を意識しているでししょうか、普段の生活のなかで。目が見えないからこそ、言える言葉です。
目をつぶって、首筋に受ける太陽の熱で、西方を思いましょう。極楽浄土を思いましょう。心の底から、ああ生きていてよかった、私は生かされていると、岩本さんは思ったそうです。クジラ事件のあと、心ない人たちから、かなりきついバッシングを受けて、それでもめげずに、この大冒険を成功させた、岩本さんに、それこそ心から、おめでとうを贈ります。2019.08.27

2019年8月22日木曜日

昭和28年5月10日花祭り

昭和28年5月10日は、小衲御年9歳、小学4年生の春。三条仏教会主催の花祭りが東本願寺別院を会場に行われました。西別院から、東別院までの数キロの道のりをおねりするのです。その西別院は今はありません。いまは、鍛冶道場という市の施設になっています。
そのころの花祭りにBGMがあったかどうかは定かではありません。
♪昔も昔三千年 花咲におう 春八日 響き渡った一声は 天にも地にも われ一人♪
花祭りといえばこの、花祭り行進曲がついてまわります。戦後の軍隊映画に、軍隊行進曲がついてまわったように。軍隊行進曲が、パチンコ屋のテーマミュージックになったころから日本はおかしくなりました。
新潟の、一地方の町三条の、仏教会の花祭りに、本物のぞうさんが、歩いたのですよ。
写真の出どころは、2006年3月3日 株式会社郷土出版社 「三条加茂今昔写真帖」です。勝手に使ってすみません。
この写真をアップしたのは、ぞうさんを見て頂きたいのと同時に、ぞうさんの左側を少し離れて歩く、少年にご注目頂きたいのです。御年9歳にして、この花祭りは俺が仕切っているんだという、少年の気概を感じて頂きたいのです。小衲です。
ぞうさんから少し離れて、右後方を歩く紳士は、当山大壇越であった、まるよしの故吉田熊次、花祭り奉讃会長さん。そのまるよしさん、今はありません。
吉田さんと弊山の先住とは懇意で、花祭りへは、多額のご寄付を、毎年頂戴し、物心両面に渡るご支援を、長い間頂戴しました。
文化を育てるには、お金がかかります。予算化されない事業は、絵に書いた餅です。おなかはふくれません。傘を持ってお歩きのお坊さま、そのすぐ後ろのかた、ぞうさんの左後方のお坊様。どなたでしょうか。いずれも故人でしょうか。
西別院から東別院へのおねりの途中、いもやさんという屋号の八百屋さんの店先のりんごを、このぞうさんが鼻先で上手に掴んだなどという思い出も、弊山先住と協力して、花祭りを盛り上げてくださった、三条市内の故住職さん方々のお顔とともに、懐かしく思いだされるのは、後期高齢者の仲間入りした、小衲の感慨でしょうか。
三条まつりには必ずついて来た、サーカスもいつか無くなりました。そのサーカスから来てくれたぞうさんが、いまどうしているのかなあなどと考えてしまいます。
小衲の頭の中では、長崎の原子爆弾の後の、死んだ兄弟を背負った少年の写真と、このぞうさんと一緒に歩く私の身なりがダブります。
同時代を生きた者同士にしかわからない、時代の空気、匂い、皮膚感覚は、ラジオを流れる「訪ね人の時間」とか「街頭録音」とか「大相撲中継」などの記憶とともに、団塊の世代が死に絶えるとき、地上から忘却されてしまうのでしょうか。