確かにこの内容で、日本では恐らく入手できない代物だ。これを日本語に翻訳した先人に脱帽する。
旅は軽装に限る。赤い小さな物入れ一つで、なんとか旅を乗り切った。そのためには、成田のホテルに前泊し、温度差に耐えることができるであろうものだけ身につけて、スーツケースはホテルへ預ける。預かりませんというから、帰ってきたら、日中のルーム使用をするからというとOKです。荷物を預ける。本当に必要な最小限のものだけにして、カミソリも入れていない。中々に苦労する。沢山もつのは簡単だが、ぎりぎり削り落とそうとすると、難しくなるのは、文章つくりと同じようなものだ。人生の最後に、お棺の中へ何を
持っていくというのだろうか。一度入って見なさい。狭いから。その練習だと思えば楽しい。
おかげで、道中は楽だった。着ていたものも、途中で飽きたら、ホテルの売店で適当に間に合わせて、不要品はバスの中でドネーション袋に入れてくる。わがまま、贅沢といえば贅沢だろうが、命永らえて、戻ることができたのだから、多少のことには目を瞑ろう。
歳のせいだろう。帰って来たら足が張る、つる。疲労回復にマッサージ。体重は思ったより減っていない。時差のせいか、旅先の二日目くらいから、食がなくなる。スイーツだけは入る、ささやかに。カレーを食せなかったのは残念至極。あと2日もすれば、元に戻るだろう。
インドから帰ってすぐ、ベンガルの虎が絶滅したテレビ番組をやっていた。インドでは虎
は特別の存在だったのだろう。虎の骨が薬になる。密漁で絶滅した。他地域から雌雄番で
運んで来て、折角仲良くなったオスが、公園内の居住者に毒殺された。人間ろ虎との生死を賭けた戦い。ますますパイの人生の意味が重くなる。これを縁というのだろう。
自宅の本棚に、読みもしないのに買い込んでおいた、タゴールのギタンジャリが目についた。パイの英文も読まなくては。新しい英和辞書でも買い込んで、少し英語にでも挑戦しようか。あの仔犬のためにも。
2025/1/24
2019年3月4日月曜日
インド インド インド(2)
カジュラホでも収穫があった。インドの古い宗教があって初めて釈尊の出世が可能だったことがよく分かった。この辺のお互いが影響し合う様子はほとんどシームレスだ。ヴァカヴァッドギータや、ジャイ二ズムが阿弥陀信仰に直結する。釈尊の立ち位置も、ユダヤ教とキリスト教の間でのキリストの出現と同じだ。一神教は厳格な律で、特にイスラム教は原初的な暴力性と相まって、元の姿をなんとか止めようと努力しているように見える。
南伝佛教ではスリランカへ釈尊の行脚があったことになっており、微笑ましいが、浄土教
における、釈尊出世の本懐としての阿弥陀信仰と同じ事だ。
それでも南伝佛教では今もって、佛教に携わる人々が、パーリー語を読み書きできることの意味は大きい。比較して、チベットから中国へ、さらに韓国へ伝播した、我が大乗仏教
のなんと大らかなことか。ほとんど原始佛教の面影を留めない。
輪廻転生から解脱したい欲求の大きさが、岩を削り、塔を積ませたのか。生老病死を苦とし、永遠の命を求めて、国家プロジェクトとしての佛教政策を推進したのか。古代の王様
たちの心は測り難い。
子犬が死んでいた。カジュラホでは、ホテルの湯が出ない。11月のインドで、湯を期待するほうが無理である。夏の暑さの中で丁度よいボイラーが、気温が下がる季節に、日本人が期待する湯温まで温める能力はそもそも持ち合わせていない。手と足と顔と尻が洗える水で我慢するとしよう。
明きらめる 風呂見つけたり カジュラホで
朝は涼しい。エントランスサークルの周囲の木に、ゴレイシャ鳥の声が、喧しい。朝のミーテングか。姿は見えない。数百羽はいそうだ。道に出て、右へ行く。いつも右へ行く。
子犬が道の真ん中で死んでいた。交通事故だろう。側道へ移す。自然に涙が出る。動物同士が食うか食われるかの戦いの中で死んで行くのは止むを得ない。自動車に轢かれて死んだのでは、それこそ犬死だ。枯れ葉をかけて弔う。少し離れた道半ばで、母親らしい犬が、私の子供に触らないでと、悲しく私を微かに威嚇する。この仔が死んだのは、お前さんの責任なのに。仔犬が甘えて乳を欲しがらないことが、不思議なのだろうか。
ホテルの本屋に『神の詩』「ヴァカヴァッド・ギータの真意」という副題のついた、日本語の本を売っていた。フロントの女の子がそれはフリーですというから、只で貰えると思ったら、ホテルから出発しようとするバスに乗ろうとする私の袖を引いて、本屋の親父がそれは俺の本だという。棚に返したら、安い安いというから、聞いたら600ルピー。
インド インド インド(2)続く
南伝佛教ではスリランカへ釈尊の行脚があったことになっており、微笑ましいが、浄土教
における、釈尊出世の本懐としての阿弥陀信仰と同じ事だ。
それでも南伝佛教では今もって、佛教に携わる人々が、パーリー語を読み書きできることの意味は大きい。比較して、チベットから中国へ、さらに韓国へ伝播した、我が大乗仏教
のなんと大らかなことか。ほとんど原始佛教の面影を留めない。
輪廻転生から解脱したい欲求の大きさが、岩を削り、塔を積ませたのか。生老病死を苦とし、永遠の命を求めて、国家プロジェクトとしての佛教政策を推進したのか。古代の王様
たちの心は測り難い。
子犬が死んでいた。カジュラホでは、ホテルの湯が出ない。11月のインドで、湯を期待するほうが無理である。夏の暑さの中で丁度よいボイラーが、気温が下がる季節に、日本人が期待する湯温まで温める能力はそもそも持ち合わせていない。手と足と顔と尻が洗える水で我慢するとしよう。
明きらめる 風呂見つけたり カジュラホで
朝は涼しい。エントランスサークルの周囲の木に、ゴレイシャ鳥の声が、喧しい。朝のミーテングか。姿は見えない。数百羽はいそうだ。道に出て、右へ行く。いつも右へ行く。
子犬が道の真ん中で死んでいた。交通事故だろう。側道へ移す。自然に涙が出る。動物同士が食うか食われるかの戦いの中で死んで行くのは止むを得ない。自動車に轢かれて死んだのでは、それこそ犬死だ。枯れ葉をかけて弔う。少し離れた道半ばで、母親らしい犬が、私の子供に触らないでと、悲しく私を微かに威嚇する。この仔が死んだのは、お前さんの責任なのに。仔犬が甘えて乳を欲しがらないことが、不思議なのだろうか。
ホテルの本屋に『神の詩』「ヴァカヴァッド・ギータの真意」という副題のついた、日本語の本を売っていた。フロントの女の子がそれはフリーですというから、只で貰えると思ったら、ホテルから出発しようとするバスに乗ろうとする私の袖を引いて、本屋の親父がそれは俺の本だという。棚に返したら、安い安いというから、聞いたら600ルピー。
インド インド インド(2)続く
インド インド インド(1)
何事も三度唱えると叶うという。インド インド インド。何回でも行きたい。インド行きは、覚悟が必要だ。ツアー旅行でも、かなりリスクがある。リスクといえば、どこへ行こうとある程度のリスクはつきものだろうが、インドにはインド固有のリスクがある。そういう中で二度目のインド。
二度目のインドへの旅。旅行業者からの案内に反応して、元気な内にもう一度行ってみたいと思った。あの喧騒と混沌が懐かしい。どんな旅がま待つのだろうか。
往きの飛航は楽しかった、二つの意味で。ひとつは座った席の周りが空いていた。ふたつは途中から、前の列に座っていたインドの妙齢のご婦人が一つ間をおいた左隣の席に座り
直して、あなたはお坊さんですか?と尋ねてきた。私が前回仏跡の旅の途中で、インド更紗で一晩で仕立ててくれた、おみやげ物のクルタを着ていたせいなのか。どうして私がお坊さんと思ったのか聞くと、身なりだという。日本人ならこの格好を見てまず坊主だとは思うまい。
彼女は瞑想が好きで、あるマスターに就いて、瞑想を習っていたという。そのマスターも
故人らしい。小さなグループで学習しているとか。ソニーでシステムエンジニアーあるいはプログラマーをしているらしい。。ニューヨークと東京が仕事場のようだ。私が言葉に
詰まり、詫びると、この女性は、私は日本語ができませんという日本語しかできないと笑っていた。
私が昔、COBOLプログラムに触っていた頃を思い出した。プログラム言語を考えて、結果がでるまでの試行錯誤の中で、頭の中の状態は、祈りの時に似ているのかも知れない。彼女の頭脳がコンピューターソフトと、祈りの世界がどう共生しているか覗いてみたいような気がする。
もう一つの収穫は、席の前にある画面で、映画を観た。「パイの人生」とでも訳すのか。”Life of Pi"お子様ジャンルに入っていた。虎と少年の愛の物語。涙が出た。動物と人
の交流の物語は素直に感動できる。本は帰りに買った。デリーの飛行場にあった。DVDは帰ってきてアマゾンで買った。日本語の字幕がないと、言葉のやりとりのシーンは理解できない。これが家人への一番のおみやげかも知れない。
前回の佛跡の旅は釈尊のおわしました大地に立つ感動があった。誤解を恐れずに言えば、遺跡なんぞはどうでもよい。どれだけ「法」を思い続けることができるかが問題なのだ。今回は佛教遺跡が少なくてかえってよかった。
インド インド インド(1)続く
二度目のインドへの旅。旅行業者からの案内に反応して、元気な内にもう一度行ってみたいと思った。あの喧騒と混沌が懐かしい。どんな旅がま待つのだろうか。
往きの飛航は楽しかった、二つの意味で。ひとつは座った席の周りが空いていた。ふたつは途中から、前の列に座っていたインドの妙齢のご婦人が一つ間をおいた左隣の席に座り
直して、あなたはお坊さんですか?と尋ねてきた。私が前回仏跡の旅の途中で、インド更紗で一晩で仕立ててくれた、おみやげ物のクルタを着ていたせいなのか。どうして私がお坊さんと思ったのか聞くと、身なりだという。日本人ならこの格好を見てまず坊主だとは思うまい。
彼女は瞑想が好きで、あるマスターに就いて、瞑想を習っていたという。そのマスターも
故人らしい。小さなグループで学習しているとか。ソニーでシステムエンジニアーあるいはプログラマーをしているらしい。。ニューヨークと東京が仕事場のようだ。私が言葉に
詰まり、詫びると、この女性は、私は日本語ができませんという日本語しかできないと笑っていた。
私が昔、COBOLプログラムに触っていた頃を思い出した。プログラム言語を考えて、結果がでるまでの試行錯誤の中で、頭の中の状態は、祈りの時に似ているのかも知れない。彼女の頭脳がコンピューターソフトと、祈りの世界がどう共生しているか覗いてみたいような気がする。
もう一つの収穫は、席の前にある画面で、映画を観た。「パイの人生」とでも訳すのか。”Life of Pi"お子様ジャンルに入っていた。虎と少年の愛の物語。涙が出た。動物と人
の交流の物語は素直に感動できる。本は帰りに買った。デリーの飛行場にあった。DVDは帰ってきてアマゾンで買った。日本語の字幕がないと、言葉のやりとりのシーンは理解できない。これが家人への一番のおみやげかも知れない。
前回の佛跡の旅は釈尊のおわしました大地に立つ感動があった。誤解を恐れずに言えば、遺跡なんぞはどうでもよい。どれだけ「法」を思い続けることができるかが問題なのだ。今回は佛教遺跡が少なくてかえってよかった。
インド インド インド(1)続く
2019年3月3日日曜日
一流患者と三流患者
上野直人というドクターがおいでだ。NHKに出演していらっしゃった。アメリカのがんの治療では有名な病院に勤めながら、日本でも、公演されたりして、ご多忙のようである。
番組の中で「一流患者と三流患者」というテロップが、流れた。上野先生の御著書である。患者も一流から何流もあるのかと、つい反応してしまい、すぐアマポチする。
アマポチは私の造語で、アマゾンへ注文するため、すぐその場で、スマホから購入契約の
申し込みをすることである。購入契約の申し込みをするなどというと、えらく難しいが、
自分でも、何をしたのかわからない位簡単に、商品売買契約が締結される。お客の利便性
をとことん追求したからこそ、世界中が、アマポチで溢れている。ジェフ・ベゾスさんえらい。
さて、一流患者にはなれなくても、二流患者位は目指したい。まず、自分の病歴を記録しておく。
平成15年 もう少しで、肺気腫になるところで、危うくセーフ。禁煙。ただし、動き回ると息切れすることがある。
平成21年 膀胱がん 内視鏡でぽつん。
平成28年 膀胱がん 内視鏡でぽつん。
平成29年 4回内視鏡検査。
自覚症状 不定期に鳩尾の中に痛み。こめかみに痛み。胸の痛み。胃薬でおさまる。
コレステロール いろいろ勉強したが、この数字は気にしないことにした。
中性脂肪 これも気にしない。
血圧 年を取れば、ある程度血圧が高いほうが自然だろう。人は数字で生きているのではない。ガイダンス作りたいやつが作ればよい。要は覚悟の問題である。
食事 低糖質のものを食するように心がけている。
体重 56kg台ならよしとする。
体調 数字ではなく、自分がどう感じるかだ。旨味でも、最後は感性の問題である。
ロカボをよく噛み丈夫な体 腹八分目医者知らず ロカボ過ぎたるはなお及ばざるがごとし 健康長寿の三大標語。
怒るな 転ぶな 風邪引くな は健康長寿の脇三則。まあこれさえ守ることができれば、
あとは喜んで、往生できるように、日々の支度をおさおさ怠りなく実行。これは夢ではないから、実行しなければ、意味がない。これも夢と同じでほとんど費用はかからない。
番組の中で「一流患者と三流患者」というテロップが、流れた。上野先生の御著書である。患者も一流から何流もあるのかと、つい反応してしまい、すぐアマポチする。
アマポチは私の造語で、アマゾンへ注文するため、すぐその場で、スマホから購入契約の
申し込みをすることである。購入契約の申し込みをするなどというと、えらく難しいが、
自分でも、何をしたのかわからない位簡単に、商品売買契約が締結される。お客の利便性
をとことん追求したからこそ、世界中が、アマポチで溢れている。ジェフ・ベゾスさんえらい。
さて、一流患者にはなれなくても、二流患者位は目指したい。まず、自分の病歴を記録しておく。
平成15年 もう少しで、肺気腫になるところで、危うくセーフ。禁煙。ただし、動き回ると息切れすることがある。
平成21年 膀胱がん 内視鏡でぽつん。
平成28年 膀胱がん 内視鏡でぽつん。
平成29年 4回内視鏡検査。
自覚症状 不定期に鳩尾の中に痛み。こめかみに痛み。胸の痛み。胃薬でおさまる。
コレステロール いろいろ勉強したが、この数字は気にしないことにした。
中性脂肪 これも気にしない。
血圧 年を取れば、ある程度血圧が高いほうが自然だろう。人は数字で生きているのではない。ガイダンス作りたいやつが作ればよい。要は覚悟の問題である。
食事 低糖質のものを食するように心がけている。
体重 56kg台ならよしとする。
体調 数字ではなく、自分がどう感じるかだ。旨味でも、最後は感性の問題である。
ロカボをよく噛み丈夫な体 腹八分目医者知らず ロカボ過ぎたるはなお及ばざるがごとし 健康長寿の三大標語。
怒るな 転ぶな 風邪引くな は健康長寿の脇三則。まあこれさえ守ることができれば、
あとは喜んで、往生できるように、日々の支度をおさおさ怠りなく実行。これは夢ではないから、実行しなければ、意味がない。これも夢と同じでほとんど費用はかからない。
源光院
久しぶりの京都である。泊まった宿の佇まいも懐かしい気がするし、天気も良くて、少しブラぶらした浄土宗宗務庁近辺も、変わっていない。というか、遥か50年近く前、浄土宗開宗800年のお手伝いをほんの少しさせていただいた頃から見れば、変わった。
その頃は宗務庁は知恩院の中にあって現在の宗務庁の建物はなく、黒門からの通りは、こんなに近代的ではなかった。西洋建築に間に何軒か残る、きれいにメンテナンスされた、寺院風の建物はなんだろう。看板がないのでわからない。うだつの上の、空気抜きの小さな屋根の上の屋根(建築でなんというのだろうか)の写真を撮る。
自坊の、本堂の、せめて夏の空気を上から抜いたら少しは涼しくならないかと、以前から悩んでいたから、この写真は参考になるだろう、お金がないことを除けば。夢を見るのに
費用はいらない。
建物の外観は、ほとんど昔どおりだが、中身はすっかりきれいになった源光院。開八のころは、知恩院・宗務庁の役職者の宿舎だった。黒塗りの高級車が止まっている。御法主猊下のお車か、宗務総長のお車か。
会議の中身は、地方調停委員長連絡会であり、お世辞ではなく、担当者の熱意が感じられる、優れた研修会であった。資料は別送して手元になく、細かい話はできないが、午後からの京都簡易裁判所の判事さんのお話もためになった。
国の調停制度と宗の調停制度の相違点という氏のご指摘は、さすがに鋭い。そもそも、多かれ少なかれ、利害関係人同士の中での、調停という公平性が最も要求される仕組みの中で、どの位、中立性・公平性が保たれるか、確かに最も留意しなければならない点だろう。同じ宗派のなかで、まるで利害関係がないかどうか、難しい問題である。
実例の資料にのっている話を、聞けばアホか思われるような紛議もご当人にして見れば、
真剣な問題なのだろう。外から観れば、まるで漫画のようだと気が付けば、問題はそれで解決するのだろうが。意地の張り合いを調停はできないし、そんなことに宗費を使うなといいたい。
判事さんのお話で、記憶に残ったのは、恋しい人に会いたいから、調停して欲しいと、国
の調停を何度も申し立てする人がいるとのこと。調停は出廷義務があるので、なんとかその場へ引張り出したいのが真意らしい。この話を聞いて、頭に浮かんだのは、病院へ通院
するのに救急車をタクシー代わりに使う輩がいるという噂を昔聞いた。
恥を知らない人間は、諸々の禽獣と相異なることなけん。 遺教経
その頃は宗務庁は知恩院の中にあって現在の宗務庁の建物はなく、黒門からの通りは、こんなに近代的ではなかった。西洋建築に間に何軒か残る、きれいにメンテナンスされた、寺院風の建物はなんだろう。看板がないのでわからない。うだつの上の、空気抜きの小さな屋根の上の屋根(建築でなんというのだろうか)の写真を撮る。
自坊の、本堂の、せめて夏の空気を上から抜いたら少しは涼しくならないかと、以前から悩んでいたから、この写真は参考になるだろう、お金がないことを除けば。夢を見るのに
費用はいらない。
建物の外観は、ほとんど昔どおりだが、中身はすっかりきれいになった源光院。開八のころは、知恩院・宗務庁の役職者の宿舎だった。黒塗りの高級車が止まっている。御法主猊下のお車か、宗務総長のお車か。
会議の中身は、地方調停委員長連絡会であり、お世辞ではなく、担当者の熱意が感じられる、優れた研修会であった。資料は別送して手元になく、細かい話はできないが、午後からの京都簡易裁判所の判事さんのお話もためになった。
国の調停制度と宗の調停制度の相違点という氏のご指摘は、さすがに鋭い。そもそも、多かれ少なかれ、利害関係人同士の中での、調停という公平性が最も要求される仕組みの中で、どの位、中立性・公平性が保たれるか、確かに最も留意しなければならない点だろう。同じ宗派のなかで、まるで利害関係がないかどうか、難しい問題である。
実例の資料にのっている話を、聞けばアホか思われるような紛議もご当人にして見れば、
真剣な問題なのだろう。外から観れば、まるで漫画のようだと気が付けば、問題はそれで解決するのだろうが。意地の張り合いを調停はできないし、そんなことに宗費を使うなといいたい。
判事さんのお話で、記憶に残ったのは、恋しい人に会いたいから、調停して欲しいと、国
の調停を何度も申し立てする人がいるとのこと。調停は出廷義務があるので、なんとかその場へ引張り出したいのが真意らしい。この話を聞いて、頭に浮かんだのは、病院へ通院
するのに救急車をタクシー代わりに使う輩がいるという噂を昔聞いた。
恥を知らない人間は、諸々の禽獣と相異なることなけん。 遺教経
2019年2月28日木曜日
久しぶりの京都
2月の京都は、桜前。それでも賑やかだ。最近は外人さんが多い。国策で観光立国とやらで結構なことではある。少し高いが宿は、オークラ。落ち着く。佇まいが美しい。気持ち
が、私のような貧乏人は特に、たまにこういうホテルに泊めていただくと、少しはリッチな気分いなることができるのがうれしい。365日貧乏が目の前にぶら下がっていると人間貧相になる。たまにはいいじゃないか。
いいじゃないかというのは、孤独のグルメの主人公井の頭五郎の独り言で、食い物がいいとき、いいじゃないかという。家内工業のような食堂で、気がきいていそうな店に入り、
お腹とメニューと相談しながら、ひたすら食う。空腹で食べるものはなんでもうまい。腹
も減らないのに、時間じかんで飯を食うなどというのは、食事への冒涜に等しい。
で、京都で、孤独のグルメと行きたいが、探すのも面倒で、地下の居酒屋で我慢するというか、かなり良さそうで、えいや、入る。
井の頭五郎さんも、下戸で、私も下戸で、そこが気に入っているのだが、私は少しは、ほんの少しは、お燗した日本酒が欲しい。串揚げセット8本。白魚の塩辛。あと一品。おとうしもあっと言う間。敦賀の方からくる魚で、ブリの子供だったかな、刺し身を少し。酒
は、名前をメモしてこなかった。大したものではない。
ホテルへ戻って、1階の喫茶で、ケーキとコーヒーのセットでデザート。いや、ぜいたくですな。ケーキのあまり旨さに、もう一つ追加しなかったのは、理性が勝った。甘いもの
に飢えている。
朝から米粒を一つも食べていない。昼食は燕三条の新幹線の駅で立ち食いそば。これは定番で、天ぷら卵に決めてある。店のお姉さんに、三条の、美味いものの一つだから、下の
喫茶食堂は閉めたようだが、ここは頑張ってとエールを送る。新幹線駅の喫茶食堂でも、
駐車場は有るのだし(有料ではあるが)、お昼に行列のできるほど美味いものを出せば、こういう時代だから、客は入りそうな気がする。早く安く美味いものをだす。早く安く美味くなければ、ここは入らない。
翌日は会議で、昼弁当は沙汰の限り。飯残す。夕食は東海道新幹線の中で。5時から一人パーテー。京都駅で買った、枝豆、紅生姜の天ぷら、ペットお茶+ロカボナッツ。以上。
千円でお釣りが来る。お腹一杯。体重増えず。炭水化物が人類を滅ぼすのです。腹八分目医者知らず。なんでもよく噛み丈夫な体。そして、何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。健康長寿三ケ条を守った京都行でした。帰って測った体重56.7kg。コロナでした。
が、私のような貧乏人は特に、たまにこういうホテルに泊めていただくと、少しはリッチな気分いなることができるのがうれしい。365日貧乏が目の前にぶら下がっていると人間貧相になる。たまにはいいじゃないか。
いいじゃないかというのは、孤独のグルメの主人公井の頭五郎の独り言で、食い物がいいとき、いいじゃないかという。家内工業のような食堂で、気がきいていそうな店に入り、
お腹とメニューと相談しながら、ひたすら食う。空腹で食べるものはなんでもうまい。腹
も減らないのに、時間じかんで飯を食うなどというのは、食事への冒涜に等しい。
で、京都で、孤独のグルメと行きたいが、探すのも面倒で、地下の居酒屋で我慢するというか、かなり良さそうで、えいや、入る。
井の頭五郎さんも、下戸で、私も下戸で、そこが気に入っているのだが、私は少しは、ほんの少しは、お燗した日本酒が欲しい。串揚げセット8本。白魚の塩辛。あと一品。おとうしもあっと言う間。敦賀の方からくる魚で、ブリの子供だったかな、刺し身を少し。酒
は、名前をメモしてこなかった。大したものではない。
ホテルへ戻って、1階の喫茶で、ケーキとコーヒーのセットでデザート。いや、ぜいたくですな。ケーキのあまり旨さに、もう一つ追加しなかったのは、理性が勝った。甘いもの
に飢えている。
朝から米粒を一つも食べていない。昼食は燕三条の新幹線の駅で立ち食いそば。これは定番で、天ぷら卵に決めてある。店のお姉さんに、三条の、美味いものの一つだから、下の
喫茶食堂は閉めたようだが、ここは頑張ってとエールを送る。新幹線駅の喫茶食堂でも、
駐車場は有るのだし(有料ではあるが)、お昼に行列のできるほど美味いものを出せば、こういう時代だから、客は入りそうな気がする。早く安く美味いものをだす。早く安く美味くなければ、ここは入らない。
翌日は会議で、昼弁当は沙汰の限り。飯残す。夕食は東海道新幹線の中で。5時から一人パーテー。京都駅で買った、枝豆、紅生姜の天ぷら、ペットお茶+ロカボナッツ。以上。
千円でお釣りが来る。お腹一杯。体重増えず。炭水化物が人類を滅ぼすのです。腹八分目医者知らず。なんでもよく噛み丈夫な体。そして、何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。健康長寿三ケ条を守った京都行でした。帰って測った体重56.7kg。コロナでした。
2019年2月23日土曜日
認知症
誰でも認知症など御免蒙りたい。脳の細胞がおかしくなるらしい。赤ちゃんの頭は、一年で倍になるらしいが、膨大なエネルギーを、おっぱいからもらい、成長する。赤ちゃんの
頭の中は、ケトン体とかいうエネルギーが一杯あって、大人の体のエネルギーは、ブドウ糖中心で、日々の活動を支えているとか。伝聞ばかりで申しわけないが、医者でもない身
古希過ぎてのにわか勉強だから、受け売り仕事にならざるを得ない。
元気で死にたいとと、常づね言っており、できれば自分で歩いてお棺に入り、お念仏する中で、往生したいというのが夢である。そんなにうまくは行かないよというのが、大方の
お声ではある。自分でもそう思う。そんなにうまくは行かないよ。
お念仏する中で、もちろんお檀家の面々に囲まれて、ふと、声がとぎれる。傍でひかえた
ドクターが、脈を取る。「ご臨終です」一斉に、お檀家のお念仏が始まる。ご来迎である。心からそうありたいと念じている。
読売新聞(しかない)の医療ルネッサンスの記事。2019.2(No.6983)。長谷川和夫さんは、認知症の第一人者だったかただそうで、その方ご本人が認知症になられた。本
を出版された。「だいじょうぶだよーぼくのおばあちゃんー」
新聞を引用します
認知症で家族のことがわからなくなったおばあちゃんが、家族5人そろった食事の席で「
みなさんはどなたですか?」と困った顔で言う。孫の少年が笑顔で答えた。「みーんなおばあちゃんことを よーくしっているから だいじょうぶだよ。しんぱいないよ、おばあちゃん!」
100歳まで望まなくても、生かされる時代になった。死ねない時代になった。体は100年もっても、頭の方はそうは行かない。結果として、人間では死ねず、認知症の諸症状で家族に迷惑をかけ、挙げ句、嫁と姑の殺人事件などを聞く。元々仲が悪ければ、最後は
地獄へ行きつく。地獄へ行かないためには、人間でいるうちに往生したい。切なる願いである。
ではどうするか。大往生したければ、医者には近づかず、癌とわかれば、なにもせず、薬は飲まず、可能な限り体重を減らし、なんでも良く噛み丈夫な体、腹八分目医者知らず、
何事も過ぎたるはなお及ばざるが如しの三訓を遵守しながら、規則正しい、感謝に満ちた
余生を送るしか方法はない。
天皇陛下と阿弥陀様に感謝しながら、なんとかあと残された命をお念仏で昇華しよう。
頭の中は、ケトン体とかいうエネルギーが一杯あって、大人の体のエネルギーは、ブドウ糖中心で、日々の活動を支えているとか。伝聞ばかりで申しわけないが、医者でもない身
古希過ぎてのにわか勉強だから、受け売り仕事にならざるを得ない。
元気で死にたいとと、常づね言っており、できれば自分で歩いてお棺に入り、お念仏する中で、往生したいというのが夢である。そんなにうまくは行かないよというのが、大方の
お声ではある。自分でもそう思う。そんなにうまくは行かないよ。
お念仏する中で、もちろんお檀家の面々に囲まれて、ふと、声がとぎれる。傍でひかえた
ドクターが、脈を取る。「ご臨終です」一斉に、お檀家のお念仏が始まる。ご来迎である。心からそうありたいと念じている。
読売新聞(しかない)の医療ルネッサンスの記事。2019.2(No.6983)。長谷川和夫さんは、認知症の第一人者だったかただそうで、その方ご本人が認知症になられた。本
を出版された。「だいじょうぶだよーぼくのおばあちゃんー」
新聞を引用します
認知症で家族のことがわからなくなったおばあちゃんが、家族5人そろった食事の席で「
みなさんはどなたですか?」と困った顔で言う。孫の少年が笑顔で答えた。「みーんなおばあちゃんことを よーくしっているから だいじょうぶだよ。しんぱいないよ、おばあちゃん!」
100歳まで望まなくても、生かされる時代になった。死ねない時代になった。体は100年もっても、頭の方はそうは行かない。結果として、人間では死ねず、認知症の諸症状で家族に迷惑をかけ、挙げ句、嫁と姑の殺人事件などを聞く。元々仲が悪ければ、最後は
地獄へ行きつく。地獄へ行かないためには、人間でいるうちに往生したい。切なる願いである。
ではどうするか。大往生したければ、医者には近づかず、癌とわかれば、なにもせず、薬は飲まず、可能な限り体重を減らし、なんでも良く噛み丈夫な体、腹八分目医者知らず、
何事も過ぎたるはなお及ばざるが如しの三訓を遵守しながら、規則正しい、感謝に満ちた
余生を送るしか方法はない。
天皇陛下と阿弥陀様に感謝しながら、なんとかあと残された命をお念仏で昇華しよう。
登録:
投稿 (Atom)