お念佛からはじまる幸せ

2021年7月27日火曜日

施餓鬼法要の言葉

令和3年8月9日掲載予定

令和3年施餓鬼法要の言葉

南無阿弥陀仏 日頃のご精進大慶に存じ上げます。

世界の体育大会が終わりました。57年前だそう

ですが、東京オリンピックがありました。

学校に通いながら、格好いい革靴が欲しくて、東

新橋の第一ホテルでアルバイトしていました。

アルバイトを始めると、会社も働き手としてあて

してくれて、なかなか休めず、ほとんどその期

学校へ行った記憶がありません。

なんと言っても、女子バレーで金メダの報は、

スポーツ音痴の私も、心踊りました。

選手もホテル宿泊で、どこかの国の、大きな体の

方が、交通事故にあい、フロントさんがあわてて

ルーマニア通訳センター!と言い交わしていたの

を覚えています。

今回の体育大会は、コロナというおまけがつき、

はじめから、トラブル続きで、中核派が五輪反対

市民運動まで繰り出して、猫の背中を逆さになで

るような、反日プロパガンダのために、体育大会

を利用しています。そんなにいやなら、来なけれ

ばいいのにと思うのは私だけでしょうか。

トラブルの極め付きは、まさかの音楽や開会式の

担当者のドタ首でした。

昔むかしの古傷を、晴れの舞台を前に、慚愧の臍

を噛むことになってしまい、本人はもちろん、一

緒におめでとうを言ってくれる、友人・知己も、

こうなると、石と鞭で、さっさと周りからいなく

なります。世間はそれほど甘くはありません。

なぜ、子供の頃に、そうなってしまうか。

何%が親の責任なのででしょうか。愛されて、甘

やかされて、何不自由なく育てられた子供の心の

闇は誰にも解りません。

その人のそばにいるだけで、あるいは、なにかの

形でその人に接することで、回りの人々が暖かく

なり幸せになれことができるような、人格の形成

は、子供がオギャーと生まれたときから、人とし

て、動物としての家庭や町内や地域の人たちとの

触れ合いの中からしか生まれてこないような気が

します。

まだ日本人は、大丈夫です。気が付けばいいので

す。日本の外は、日本ではないことを。


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