お念佛からはじまる幸せ

2023年6月30日金曜日

宗議会議員 荒井道也 様 2

 浄土宗宗議会議員

  荒井道也 様

ツイートーぼやき&本音 につきまして、私のぼやきです。

 ※ 宗務につきましてご支援、ご高配・・・

議員・議会ということ、制度、民主主義、代表制という仕組みについて、国民自らが、血を流

して獲得したものではない、日本人(大袈裟・・坊主につき)は、その有難みがわかっていな

い。為政者を、民意で交代できない国民は、独裁者のご都合主義によって、彼・彼女(北)の

意に沿わない場合、テレビに、シャッターが降りる。

浄土宗新潟教区は、誇りに思え。荒井先生という、傑出した宗議員を選出していることを。

小気のきいた宗の議員はこれまでおいでだったろうが、言うべきことをいい、きちんとそれを

文書にして、教区全寺院へ配布した宗議員がいままでおいでだったろうか。

とにかく、教えていただき、ありがたい。と同時に、荒井議員が、教区の総意で、議員に選出

されている以上、宗の為政について、教区全員、各自の意見を、開陳する義務がある。


 ※ 宗の予算、決算や議事録・・

かける手間暇、費用、エネルギーを考えると、つい、この文書どれだけの人が読んでくれるの

だろうかと、疑念と諦念が交錯するが、一人でも読んでくださる方があれば、書いた本人は浮

かばれる。

全檀家へ華頂を配布し、昨今は、かみさんが執筆、毎月寺からのお便りを入れている。ほんの

数人であれ、お檀家から、配布文書(毎月の挨拶)への感想をお聞きすることは、やはりうれ

しい。この華頂の全檀家配布も、護持会経理の都合で、取りやめる事態にならないとも限らな

い。

話代わって、そこで思うことは、酒というものについての、分かり易い評価の基準がある。

うまいいいかただなとうなずいて、30年。下戸の酒談義。

   酒に三種あり。

     ① 金を出しても飲みたい酒      上酒

     ② タダなら飲んでもいい酒      中酒

     ③ 金をもらっても飲みたくない酒   下酒

つまり、宗議会の報告を、教区内へ配布される際、小衲は、貴師文書なら、送料くらいは喜ん

で負担させていただく。さらにいうなら、ランクわけした会員制をつくり、今風に、月なんぼ

で振り込んでもらい、資金を集める。なにかしようと思えば、金がかかる。禅宗のニ祖様のよ

うに、断肘して、ダルマさんに弟子入りするほどの気概はないが、意味のあること、賛同でき

ることで、許容範囲であれば、人は動くような気がする。あまり高額でなければ。


 ※ 人口減少、少子化、過疎・・

かみさんが、そこまでこのお寺、保つの?というのが、口癖。まあ、お檀家がゼロになった

ら、寺〆て、寺の精算屋でもしたらと受け流す。三条市内といわず、わが墓地も、解体屋が繁盛

している。新規墓碑開眼法要、昨日ン年ぶりに修畢。

お寺、浄土宗は衰退するばかりと、全面同意はするが、当宗のみにあらず、宗教ということ、

家という制度、すべてが、かわりつつある。

最近新しい苗字が増えた。同じ苗字が続けばわかりやすのに、一人娘が嫁ぎ、苗字がかわり、

ばあさんの喪主が、この娘の亭主となると、寺と檀家は、葬式のとき初めて会うもの同士の行

事が多く、以下諸法要で、はてこれはだれであろうかと、過去帳を見ないと、思い出せない。

それは単なる認知症だろうと言われてしまえばそれまでだが、とにかく、新しい氏名になじむ

まで時間がかかる。


 ※ 地方中山間地の寺院の・・

墓地・境内地は課税されない。宗教法人は経理事務所をわずらわせても、最後の税額は零。

事業所得・個人収入は当然課税される。いつまでこの税制が続くかは、だれもわからないだろ

う。

浄土宗も、宗教法人非課税の原則があるから、なんとか、850年持ちこたえた。当市の人口

は微減しつづけている。それでも幸い、寺所有の宅地の住宅が取り壊しになり、賃貸契約がな

くなったところは、駐車場として造成し、幸い、現在「空なし」の状態だ。

設備投資は相応の出費を強られる。所詮、不動産業というのは、回収に時間がかかるもの、少

しずつでも右肩上がりの商いと聞くので、焦らない。

道路が細過ぎて、借り手のない土地は、ペットのお墓をたてて見たが、まだ犬・猫お一人さま

のみ。まあ、次世代・次次世代への投資だろう。

駐車場の借り手があるのは、周辺に飲食店が多く、夕方から夜中に満車になる。飲食店勤務な 

いし経営者は午後の出勤者が多いようだ。

おかげで、義理でも客になったほうが好ましい店が増えた。☆みっつの当たりの店ならうれし

い。


 ※ 浄土宗は・・

議員のお立場なら、まず浄土宗はと来るだろうが、一地方末寺の立場でいえば、教区はなにを

すべきかを問うべきであろう。次とその次の貴つぶやきに関連するが、こういうことこそ、ど

うすりゃいいんだや、と、等級審査の長岡議論のように、喧々諤々の話し合いがあるべきだ。

為政者に文句いう前に、わたしたちはこうして欲しいがなければ、為政者も困る。

国政のテレビ放映を私が見ないのは、面白くないからで、エンタメ番組になって欲しいのでは

なく、議論の中身がアホ臭いから、辟易する。野党ではない、野盗だ、反社だ。

議会固有の手練手管もあろうが、そんなことに、国民の興味はない。左から与党への攻撃は、

目くそが鼻くそを笑うほど、立派なものではなく、国政レベルでの議論に値しない、週刊誌ね

た(それが好きと言われてしまえばそれまでよ)程度の話に、国税を使って、時間のむだ使い

をしているように、思われる。モリカケサクラソレナンダ。


 ※ 宗務 教区に丸投げ?・・

国と県。県と市町村。行政と市民。宗と教区。教区と一般寺院。寺院と寺族。組織同士あるい

は組織と個人の、ガバナンスの問題に収斂する。

金をつかんだほうが勝。自明の理であろう。集金して、会議して、印刷して、配布して、さあ踊

れといわれても、そうはいくかい、笛吹けど踊らず。

宗の様子を見ながら、教区で集めた金を、宗の成績によって、項目毎に、☆の数で評価してか

ら、還元するようにすれば、宗も、うかうかしておれなくなるだろう。

教区の顔色伺いながら、宗は政治を進めてくれるのだろうか。

そもそも、宗務庁は本当に必要なのだろうか。総本山・大本山が本来的に機能すればよいだけ

なのではなかろうか。


 ※ 講習会 高等講習会・・

提言 全部やめよう。真面目に結構何回か参加した。途中から義理になり、いやになった。

   何千回・何万回実施しても、地球は自転し、陽は上り、月も出る。入微汎細に、法然

   様のお噂を申し上げても、そんなことしてるなら、お念佛しなさいという、元祖様の

   お声が聞こえてこないか。南無阿弥陀佛。


 ※ 宗務の本来の役割は、教区の本来の仕事は?

さあ、面白くなってきた。宗務も教区も無くなったとする。いや、廃止するとする。あるのは

各宗教法人が、1番から6千何番か7千何番まであるとする。それぞれに、ボスがいる。それ

だけ。組織は金がかかる。手間がかかる。通信と交通が革命的に発達した現在、地理的な距離

は、それほど考慮しなくて、組織は組むことができる。

日本全国に、総とか大とかいわずに、本山を適当に配布する。真宗の別院を思えば、できる。

沖縄に別院をつくる。たまには沖縄へ行ってみたいから、新潟の寺が、沖縄の別院に所属した

りする。楽しいではないか。会議?ネットでもできるでしょう。

教育システムも再考の必要がある。山寺が廃寺にならないうちに、期間限定で、寺の師弟をあ

ずかり、肉体労働を厭わない、勉学にも励む年少者教育を行う。檀家がなくても、寺子屋や畑

仕事で稼ぎたい坊主も、でてくるかも知れない。英才教育の中から、ものになりそうな人材を

ピックアップし、高等教育をほどこし、人材をチョイスして、ランクの上のてらの住職にす

る。当然、世襲はなくなり(寺は荒れることもあるだろう)、人事委員会が、本人の希望を聞い

たうえで、赴任地を決定する。

それほどの秀才は、寺なんぞ入らないよという声も聞こえてくるが。

宗門に生きることの決定は、早いほうがよい。アウトサイダー(小衲)は所詮、引かれものの

小唄を口ずさむのみ。

どうにもならないことを、いくら議論しても結論は出ないと、思考停止のまま、なにもせずに

浄土宗を消滅させてしまうのは、おしい。こういうことを、話合うのが教区の仕事ではない

か。


  ※ 新型感染症、インフルエンザお寺の環境は・・

人を集めるのがしごとなのに、密です・密ですと、効き目のあるコピーを都知事が叫び、致死

率やなんたら有効数で、脅かされ、結局ワクチン連続6回。これじゃ体にいいわけないよ、わ

かっちゃいるけどやめられねー♫と、同調圧力は高い、日本人です。他人と違うことは、しな

いほうがいい。なにかあると困る。友引に葬式はせず、大安に結婚式をし、土用には墓工事し

ない。納骨しない。どうしてそんなにタブーを作るのか。

死にたくても、死ぬことができず、100歳まで生かされる時代には、どのように、生きて行

けば良いのだろうか。

運良く80位で死ねたら、ありがたいと思う時代になった。糞まみれになって、子供の顔を見

て「どちらさまですか」とだけは言いたくないと日頃考えているが、近時己の認知症度を思う

と心細くなる。あれだけ見栄っ張りで、尊大な親父の最後は慚愧の極みだったろう。頭はしっ

かりしていたから、なお、自尊心はずたずたになったはずだ。比角(だったか脳の中の部品)

梗塞。右手と言語がだめにならなかったので、2級障害。親父を見ていて、教訓にするとすれ

ば、前立腺肥大の手術は、早いほうがいいような気がする。

本題からはずれた。

感染症とも共生、インフルエンザとも共生。


  ※ 災害 地震、水害、雪害等々、・・

  ※ 危機管理というが、管理できないのが危機では?

正にそのとおり。自然ははかりがたく、かつ自然の法理でうごく。水中深く3千メートル以上

潜れば、やわな潜水道具は「爆縮」する。内部気温は高温になる。人体は溶けてしまったろ

う。なんのことはない。1億円かけて、葬式出したようなものだ。潜るのに、5千万、かけら

引き上げるのに、5千万。タイタニックの呪いなどと、言い出す者がでて来るに違いない。

想定外というなかれ。どうせ大したことは、想定できないのだから。それより、もしかしたら

あした自分は死ぬかも知れないと考え、あみだぶと十声称えて、まどろむほうが、どれだけ、

安心できることか。ながきねむりになるかも知れないのだから。

三条地震の被害で、死んだ人の知人へ、良寛様は、死ぬる時期には死ぬるがよかろうと、文さ

れたと聞く。

自身の遺影を準備して、お棺買買いたいと思いながら、生前葬企んでいる。楽しみながら。


 ※ 檀家減少 昨年は5件の減。・・・

いずこも同じ秋のゆうぐれ。街から民家がどんどん壊体されて、空き地がふえるのと同様に、

寺の墓地から、墓がなくなる。家が続かない。新檀など無くなって、絶えて久しい。寺院名簿

を、①まあ続く家、②かなり危ない家、③もう終わりで、緑・黄・赤に色分けしてみようか。

各寺院持ち寄って、真っ赤赤から新緑緑まで、持続可能な地域がどこだかわかる。

そんなことをしなくても、人口動態調査結果を見れば、一目瞭然だろうに。

朧気に、皆が感じている、先行きの不安を、寺の将来を、可視化した将来図で、これはなんと

かしましょうよという、意見集約ができる資料を作成し、全寺院の行動を起こさせるのが、真

のリーダーシップだろう。AI借りてくるか。岡目八目。


 ※ 葬儀 セレモニー イニシエーション パフォーマンス? なんだろう

七五三・入学式・卒業式・成人式・結婚式・葬式。人生でいくつ式があるのか。式の東西文化

を比較すると、面白い研究になるかも知れない。人類学の範疇か。

民族によって、式の内容もまるで違うだろう。いや、日本の中で、こと葬儀について、新潟県三

条市と他の市町村では、微妙な差異があるだろう。

鳥の目で見ると、まあ、面倒なことは、どんどん簡単になっていく。先代の葬儀を見よう見真

似でやっているが、一昔前に比べれば、下田村(現三条市下田)の葬儀にやり方を聞くと、へ

え、というか、なるほどというか、面白い。

どうしてこんなことをするのか、訳も分からず、他人と違うことはやりだくないという、良く

も悪くも、日本人は、人様に後ろ指をさされないように、ひたすら謙虚に、何も知りませんが

よろしくお願いしますと、下げた頭を、他人の冷たい目が、通りすぎる。

華頂流家元のご葬儀行儀を、各自、いよいよ面倒なことは、スキップして、まあ、できること

をしていても、見物者から文句は出ない。自動車の運転とお経は、自分が一番上手とみんなそ

う思って思って、生きている。


  ※ 葬儀2 件数は年々増加だが・・

家族葬が特別な葬儀ではない。死を、非日常のこととして捉え、死者に祟られれないように、

丁重のお弔いしてきた。かつての田植えと同じように、とにかく手間暇かかるから、最低限向

かい三軒両隣くらいは葬儀の仲間になっていただく。通夜葬儀、初七日、満中陰まで七日七日

に僧侶から読経してもらい、死者儀礼として、祟られないように、配慮した。初七日まで、毎日

お参りした記憶がある現役先輩がおいでだ。私にその記憶はない。

村八分、火事と葬儀は、お付き合いしますというのが、掟であった。枕経に行くと、在方では

近所のじいさまが、死華を作りながら、枕元へかけつけたものだ。

祭壇は各家備品、または寺から運ぶ。今の業者まかせではない手作り葬儀・法要は、大変だけ

れども、地縁・血縁を実感できた。じいさまの法事のお斎には、天ぷらがついた。ばあさまの

法事に天ぷらがつかない。

家内の兄と母が、令和四年三月、二週間で亡くなり、2つ、三条市上保内の家内の実家で、自

宅葬を営んだ。通夜100人。葬儀50人。野辺送り70人。お斎は20人。

馬場家菩提寺は長泉寺。三条市内では檀家数1〜2を争う、真宗大谷派。

今、自宅葬の課題は、駐車場と、椅子である。幸い、農家の敷地が広く、車寄せはなんとかま

かなって、椅子は、極楽寺から運んだ。式の運営は、下田の農協。これも幸い、農協の職員

に、気心の知れた、有能な、元燕市内の葬儀社勤務経験がある女性と、組んだ。

「お寺様が仕切っているから、おまかせします」と言われながら、日頃感じている、葬儀はこ

うあるべきが実行できた。

中でも、家内の母親の葬儀では、屋内から、霊柩車への、お棺の移動は、孫とひ孫に担当させ

(先に履物はかせて、土間で待機)、屋内は、誰でも良いから、おねがいします。

野辺送りの挨拶は、喪主(家内)、整列の一番前は、お棺運んだ、孫とひ孫。斎場へのマイクロ

バスに乗る時は、事前に、定員分番号札を配り、どうすればいいのか、うろうろしたり、小便

する者、コートを取りに行くものもなく、スムーズに出発した。

コロナは勝機。ここぞとばかり、当山でも、人件費削減。これまでの、葬儀は、式場営業のバ

ブル葬儀で、寺は収入減で疲弊するばかり。式場栄えて、お寺は枯れる。菊は栄えて葵は枯れ

る、とか。葬儀式場業の跡地利用を、考えるのは、そう遠くではないような気がする。


  ※ お墓 墓じまい・・・

死者を恐れる。なにか、人間以上の世界を信じる。なぜこんなことをするのかは、無着成恭

以来、何でも何故と考がえ始めてから、日本人は、変わった。

そういうもんだ、で若者は納得しなくなった。

宇宙へ行く、タイタニックを見に行く。デズニーランド・なんたらスタジオ・ハリーポッタ

ー。

日頃のお遊びに忙しい。

90歳・100歳のじいさま、ばあさまがご逝去されても、急でした、あっと言う間でした。

そう言うのは当たり前で、人間はいつか往くものだ、生けらば念仏の功積り死なば浄土に参り

なんぞと日頃思っていれば、おう来たかと、死を迎え撃てる。死ぬことも戦であり、常に戦場

である。

弔いの形は、宇宙葬まででてくるだろうが、100年位、地球の外を、衛星のようにくるくる回っ

て、回ることができなくなったら、落ちて燃えつきて、無に帰るのもいいなあ。

タイタニック葬はなんとなくいやだなあ。


  ※ 先祖代々それなに?

お墓も、お仏壇もない家には、先祖代々はない。せいぜい三代はわかるが、同居が少ないか

ら、思い出も少ない。10人15人という、大家族での、生存競争の場であった家族は、文化

の承継もなければ、伝達もない。その代わり、新しい人間の営みは、時々刻々変化していく。

ジーンクエストという会社がある。簡単に、DNAを調べてくれる。自分ひとりの遺伝子が分か

っても、大したことはないが、これから先、家族で、ファミリーで調べ続けると、案外面白いか

も知れない。

私の遺伝子解析で、膀胱がんのリスクは2倍ですという結論をもらっていたが、ものの見事

に、この10年で、膀胱がんの手術、2回実施済。 

己を見つめれば、先祖代々、この遺伝は、母方か、父方かきっとよく似た人物が、この世に存

在したのだろうと、想像できる。

地域の現存者でも、説明されなくても、この人は、あの人の子だろう、孫かもと、見当のつく顔

がある。まるでコピーのような親子も多い。

反面、まるで家族の誰とも似ていない人も結構多い。つくし誰の仔、スギナの子。

日本人の遺伝子は、300回位入り混じって、今の日本人ができたという学説があるらしい。

同一言語・同一民族・島国、以心伝心、皆までいうなという、阿吽の呼吸、何事も目で盗む民

族ができあがった。

これからは、多民族国家を目指さざる得ず、遺伝子もワールドワイドに、入り交じることだろ

う。


  ※ 供養・・

改めて、供養ってなんですかと聞かれると、ボーと生きていて、チコちゃんに叱られる。

いい機会だから、浄土宗辞典を調べてみよう。

くよう【供養】

『善導大師別伝纂註』下

下を以て上に薦るを供となす。卑を以て尊を資するを養と曰う。

これだけわかれば十分。ありがとうございました。


  ※ 「光輝く浄土宗」嫌いな言葉です。・・

三条市の市の歌の、最後の文句は、光輝く三条市だ。いまでも。

お説のとおり、生きてゆく人々の命が輝くのであって、浄土宗は光らない。阿弥陀さまも光ら

ないほうが、ありがたい。

最近、内陣の金ピカが全部気になって仕方がない。ご本尊様以外は、できるだけなもない方

が、すっきりしていて、気持ちがいい。内陣ではなくて、無陣にしたい。

ありがたがらせようと、様々なもので、飾れば飾るほど、ありがたくなくなる。

大の字をつけるほど、大ではなくなるぞというのが、先代の口癖だった。大日本帝国から、幼

稚園の大運動会まで、大をつけられると、それだけで、ひいてしまう。

寺の坊主も、自分の戒名、長すぎて誰も覚えてくれない戒名に、大和尚・大和尚と並らんでい

るのを見ると、勘弁してよといいたくなる。

先代は、自分で、老和尚とつけて往ったが、存外生前の主張を、全うしたのかも知れい。

私は(小衲というのも、嫌味な言葉だ)、祝人空阿を戒名とする。院号も誉号もいらない。阿号

だけは、空阿をいただき、本人は満足している。

頭は空っぽで空、阿は阿呆の阿、祝人は ほいと と読んで、乞児(ほいと)、乞食のこと。遺

教経に繰り返し出てくる。

汝等比丘(なんだちびく)、OH YOU BEGGARS!おしゃかさまから、そう呼ばれると、嬉し

くて涙がでる。

                                   以上


さぞかしご迷惑なことで、思いついて、ブログしたものを、プリントしました。

役職が無いと、会議にも出れず、850年の法灯リレーや、結縁交名のことも、蚊帳のそと

で、期限切れしてしまいました。

宗務、社会局へ電話して、教区でやらんでも、おれはやりたいから、リレーについては、そう

簡単ではないだろうが、結縁交名札くらいは、なんとか、来年4月、涅槃図の修復開眼法要に

併せて、お檀家に呼びかけてみたい。そう言っておきました。

宗務内で、どのように縦割り行政を実施されているのか、よくわからない。

法灯リレーと結縁交名のことを、社会局に尋ねたら、女の子一人がご担当で、パソコン相手

に、その子がいないと、他の職員は説明もできない。まあ、そんなもんだろうと思っています。


              令和5年7月3日

                        三条極楽寺 祝人空阿 拝













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